『憧れ』は絶対やらないこと
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おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
私の見ているTwitter(世界)では、最近、声の配信が多い。
私が応援しているJOHNNYPARKのじょにらじ(youtubeにて)は以前からやっているものなのだが、
Twitterでもフォローしている何人かの方が、不定期にラジオをやっている。
ラジオに親しんだのは中学生の頃だ。姉に勧められてお風呂でラジオを聴くようになった。
中学2年生くらいでポータブルMDプレーヤーを買ってもらったので、通学中や勉強中、常に音楽を聴いていた。それを見て、姉も私が特別音楽が好きなのかと思い、ラジオを勧めたのかもしれない。
しかし、今でもそうだが、音楽に特に強い拘りがない。ほぼ毎日音楽を聴いて移動しながら、30歳までなんのファンでもないままだった。
ラジオの話を同級生とする機会があった時、「話が面白い」とか「リクエストしたい」などの話題が出たのには驚いた。
完全にBGMとしてしか聴いておらず、人の話はほとんど聴いてなかった。私にスピードラーニングは向いていないだろう。
しかし、何人かの方のラジオや配信の声を、今聴いてみるとみんな面白い。もちろん全部は聴けていないが、ふだん交流していない人の話し声をじっくり聴いてみる、というのは不思議な気持ちになる。興味があるのか無いのかわからない関係性だな、と思う。たぶん私は充分興味があるのだと思うが。
思ったより低い声だな、とか、文章から想像した話し方とは違うな、とか色んな感想はある。それは全部、自分の先入観であることもわかる。こんなに先入観を持って、Twitter状のこの人を見ていたのかと、話し声だけでもいくらでも挙げられる。
私も声の配信には憧れはある。ただ、絶対にやらないと思う。やらないからこそ、憧れになるのかもしれない。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
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良いこと待ち
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良いことが起こるときってどんな時だろう。
突然起こることもあるし、グラデーションのように環境が整っていて段階を踏んで起こることもある。
突然の出来事に弱い私は、即座にそれを良いことだとわからないことの方が多い。
突然の出来事は、その瞬間の私にとって『どう対応していいかわからない面倒事』、イレギュラーのタスクである。
段階を追って起こる良いことは、そうなって然るべき行動や準備を私がしてきている。だからこそ、結果、やっぱり良いことだと認識できていない気もする。
なんて哀れなんだ。
きっと今まさに良いことが起きてるかもしれないのに、私の脳が感知できていないだけかもしれない。
悪いことがなければ、もしかしたら、大体の時間の流れに良いことがあるのかもしれない。
泥の中で眠っているあいだにも、時間の中に良いことが混ざっているかもしれない。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
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やがて君じゃなくなる
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月夜のサラサーテ The cream of the notes 7 (講談社文庫)
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/12/14
- メディア: Kindle版
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森博嗣ほど、文から『天才』を表せる人を、私は他に知らない。
実際とても聡明な方だと思う。なんてったって面白い文章を書く作家なのだから。
しかし、まぁ、エッセィともなると、なんというか、身近なテーマで書いてくださっているために、まぁその、『天才』が洟につく。
俗らしくSNS的に言ってやると『匂わせ天才』だ。
ここまで、自分は特別な存在である目線、周囲の人間の思考の、自分と比較して、及ばなさばかりをあげつらって、それを日常として切り取っているのだから、まぁ苦笑いしながら読んでいる。それがまた面白い目線なのだが。
しかし、これがTwitterであったら、とんでもない老害でしかない。逆に、金銭が発生する人で無ければこういった文章の書き方はしてはいけないな、とも思う。
森博嗣の目線からの周囲の人々は、『なぜこんな事も考えが及ばないのか』と疑問を持つ対象として映っている。
さて、私の目線から、私の周囲の人々はどう映っているのか、考えてみた。
私の周囲の人々は、『ずいぶん優しい』と思って見ている。
私は好きじゃないものには関心が無いし、自由である事を自分の生きる世界の価値と見ている節がある。そのせいで、特にTwitterは、悪口雑言の限りを尽くす時もあるし、自分の好きな事やものについてはただ垂れ流していることもある。
しかし、近しい友人たちの一部に話を聞いてみたり、考えを聞いてみたりすると、ハッとするほど世界や世間に優しいのだ。
例えば、私の言葉も、時に、「その表現では可愛くないぞ」とか「もっと、聞いた人に、君が優しく見えるようにしたほうがいいよ」とかアドバイスをしてくれる。私が友人の紹介とか合コンとかのきっかけで恋愛に参加できないのは、こういう面が原因だろう。どこに出しても刃物が生えた鉄球のような発言をする恥ずかしい奴だと見られている。
しかし、そう言ったアドバイスをするということは、彼ら彼女らは、自分の言葉や態度を他者を意識して変更等する必要があり、なるべくそれのほとんどが優しさであるように振る舞う努力をしているのだ。その他者を好きであっても好きじゃなくても、というか、嫌いでなければ、ほとんど全てそうだ。
好きじゃなくても、嫌いでなければ、世界や世間に優しいのだ。
私はたぶん、それに理解も思考も及ばない。
好きじゃなくても優しい、は、とても優しいが、私のように『好きだと確定したものにしか優しくしない』常識の中で生きている人間には、とても厳しい。
好きじゃなくても恋人になってみたり、結婚してみたりしている世間の方が一般的だという現実もある。
女は「好きじゃないんだけど」と言って結婚した方が幸せだとか言われることも多い。好きじゃなくても恋人であることを許す優しさが無いといけないのだ。
私はそういう優しさがある人たちの、恋人のいないところ、配偶者がいないところでの愚痴がとても恐ろしい。本気か本気じゃないかは、私からは測れないし、どっちであれ、そもそも気持ちの中で真実がどこにもない『信頼関係』という気味の悪さがある。
そういう優しさを持った人を、私みたいな常識の中で生きる人間が一方的に好きになってしまった時が、不幸だ。
好きじゃないのに恋人になったり、それが終わったりするが、人の優しさの真実について考え始めると訳がわからなくなる。最初から好かれていなかったのに、恋人であった間は私だけがそれを真実だと思い違っていた。それを終わった時にすべてを知る。その長い期間、私だけが愚図だったと知る。勘違いによって高まった自尊心は、勘違いを自覚することでボロボロになる。
ずいぶんと優しい世界だ。
ずいぶんと優しいので、私は優しさに真実を頼らないように気をつけている。砕ける自尊心を育てて、勝手に傷ついたりして、優しい人を加害者に仕立て上げないためにだ。
私も優しいから。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
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とろとろの角煮
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最近、豚の角煮を作ることが多い。
シトシトに1時間ほど茹でて、甘辛い煮汁で30分くらいコトコト煮る。火をつけてから放っておく時間が長いので、時間がかかるといえばそうだ。放っておくといっても、様子は見ている。
時間はかかるが、私がやらなければいけないことが、
「肉とネギとしょうがを切る」
「調味料を計って入れる」
だけなのが良い。
しかも、豚の角煮は味付けに失敗が無い。甘辛い味は大体美味しくできる。
以前書いた通り、脂身はやはり多いが、じっくり煮込んでおくと結構脂が溶け出してくれていて、肉を食べる時重たく感じない。
レシピは『きのう何食べた?』14巻の角煮だ。
レシピ本より、この作品から料理をすることのほうが多い。
ありがたい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
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ぼくとマシューとflyingspaceship
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覚えているだろうか。
『Matthew's Best Hit TV』。
藤井隆が『マシュー南』という外国人(?)になりきって、エンタメトピックを紹介する深夜番組だ。ちなみにマシューの叔母役は平野レミだ。
毎週歌手や俳優、芸人などさまざまなゲストがやってきて宣伝をする。
その時のマシューの決まり文句がある。
「その歌は良い歌?悪い歌?」
「そのドラマは良いドラマ?悪いドラマ?」
「その映画は良い映画?悪い映画?」
最近、この問いを持つマシュー南と、私は会話している。
「その言葉は良い言葉?悪い言葉?」
「その考えは良い考え?悪い考え?」
「その行動は良い行動?悪い行動?」
私の頭の中に住むマシュー南は、私の一挙手一投足に絶えず話しかけてくる。
「良い!!!!!!!!」
「間違いなく良い!!!!!!!」
「たぶん」
そうやって折り合いを付けて、flyingsapceshipが出来るのだ。
『Matthew's Best Hit TV』は私が中学生~高校生のあいだに、断続的に放送されていた。思春期に見た深夜番組による影響は恐ろしいものだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。