宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

センスについて

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もうクリスマスは過ぎてしまったが、クリスマスは贈り物で悩む人が多い時期だ。

悩ませる要因としては、『もし喜んでもらえなかったら…』という不安だと思う。

 

ただ、最近は『マウント』という現象により、プレゼントを贈り『俺・私のセンスのマウント合戦』が始まるという懸念もあるらしい。

要するに、『相手にセンス無いと思われたら嫌』という、相手に喜んでもらえるかどうかよりプレゼントを贈ることで、自分のセンスの良さをアピールできるかどうかになっている局地的な現象も存在するらしい。

 

全部、らしい、と書いているのは、Twitterとそのほかネットの情報と、人の話を盗み聞きして得た情報で構成されているためだ。

 

贈り物は、贈る側の『自己表現の手段』ではないはずだ。

 

しかし、『贈り物のセンス』という単語の組み合わせは耳にする。

私は、殊に贈り物に係る『センス』とは、「相手のことをどれだけ思って選ぶか」ということを、偶々『センス』と言ってしまったことから勘違いが生まれたのではと思う。

贈り物は『モノ』によって喜ぶというより、それが贈り相手に『合わせている』モノだから喜んでくれるのでは無いだろうか。普段から贈り相手の言葉に耳を傾けていたり、行動を気にかけていれば、贈り物の候補は出てくる。その結果、モノではない場合もある。

 

喜んで欲しいからこそ悩むけれど、相手のことを、その人がいない間にたくさん考えるせっかくの機会だ。そこでなにも思いつかなければ、相手のことをあまり思っていない自分の冷酷さを反省したらいい。

 

それにしても、こんな内容は12月頭くらいに書けばよかった。そうすれば、誰かの役に立っていたかもしれない。

なにかとタイミングが悪いのがflyingspaceshipである。おそらくタイミングのセンスは無いのかもしれない。タイミングについてのセンス向上方法があったら教えてほしい。反省しなければ。

 

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最近忘れがちなこと

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ここ1週間ほど、帰り道にチャンスがあるときは「買っていこう」と思っているのに必ず忘れているものがある。

買い忘れても困らないものなので何も問題ないのだけれど、強い決意をしてもいつも不思議なほどすっかり忘れている。

 

スタバのポテトチップスを食べてみたいのに、いつも買い忘れる。

 

家で食べるつもりのポテトチップスだけ買うのも気が引けるので、とりあえずなにか飲み物も選ぶ。

飲み物を注文する。レシートを受け取った時にポテトチップスを買うのを忘れていることに気づくが、とりあえず、飲み物をゆっくり飲んでひとやすみしてから、帰りに買おう、と思う。

すっかり忘れて店をあとにしている。

 

スナック菓子はあまり食べないのだが、ポテトチップスは美味しく感じるので、今年は食べ比べもした。

まだスタバのポテトチップスは食べていないのだ。

 

ここに書いたので、明日は忘れずに買えるかもしれない。

美味しかったら、友人との忘年会に持って行きたい。

 

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来年のうらない

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来年の占いが始まっている。

30代独身彼氏なしは占いに敏感なので、きちんと雑誌を買った。

 

flyingspaceshipの星座は来年もなにも無さそうです。

とりあえず犯罪を犯さない、犯罪に遭わない、それさえ守れば何事も無く過ごせそうです。

なにも起きません。

センセーショナルなことは、きっと私がひどく憔悴するほど根回しをしなければ起こり得ないし、それほど消耗してもなにも起こらないこともありそうだと思う。

消耗したら、きっと、しあわせではなくなってしまうので、毎日しあわせでいるために、なにも起こらないように過ごそう。

世の中の幸せ指数を乱さないよう、大人しく生きるのだ!

 

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クリスマスの思い出

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社会人になってから、クリスマス連休を休暇として過ごしたのは一度だけだ。

私はクリスマス連日、特に忙しくなる仕事が好きらしい。

 

学生の頃は、ケーキ屋さんと和食の飲食店でアルバイトをしていた。ケーキ屋は当然だが、和食の店もクリスマス前後はかなり忙しくなる。私の家は違ったが、連休に家族が集まれば外食になるものなのだ。

 

そういえば、ケーキ屋のアルバイトの最後のクリスマスイブ当日、ノロウィルスに罹った。

クソ忙しい当日2日間とも、ケーキ屋を休むことになり本当に申し訳なかったが、私のクリスマスディナーは点滴になったので許して欲しいと思った。この時、店のスタッフも家族にも誰にも感染しなかったのは不思議だが、良かったと思う。

 

和食店でのクリスマスはほとんど覚えていない。とにかく忙しかった。この時はそのまま年末年始もずっと忙しい店だったので、本当に記憶がない。ただ、アルバイト仲間同士で、「このまま塵になって消えるのかなってくらいずっと移動してた」と言い合ったのは覚えている。私たちは流れ星だったのだ。

和食店は三が日は時給が上がるので、時給が世界のすべてだった私は必ず居た。そして流れ星のように働いたのだ。

 

ちなみに、子供の頃のクリスマスはもっと覚えていない。

父母はクリスマスをやりたがらなかった。私は小さい頃から「うちはサンタが来ない家」と言い聞かせられていた。

しかし、トイザらスなどのおもちゃ屋のチラシを見つけると、幼い私は懲りずに父に直接ねだってみることもした。

私「これ、これがほしい」

父「よし、ハサミ持ってこい」

そう言って、チラシから欲しいと言った商品をハサミで切り取ってニヤニヤしながら渡してくるのだ。

クソみたいな父のエピソードだが、流石に、おもちゃを一切買い与えてくれないという訳ではなかった。昔リカちゃんの家を買ってもらったことがあるし、着せ替え人形は2体くらい持っていたし、ゲームボーイもあった。ただ、子供が欲しい時ではなく、父の気まぐれ次第だったのだ。

特にキリスト教を嫌ったわけでも、仏教を重んじているわけでもなく、我が家は父の気まぐれだけで廻っていた。

ケーキも、ホールケーキは実家で食べたことはない。アルバイト先で廃棄品のホールケーキをみんなで食べたのが、私のホールケーキの初めてだった。

クリスマスという世間の感覚を完全に無視した家だった。それはそれで宗教ぽくて気持ち悪いなと思う。世間の同調圧力に屈しろよ。

 

そんな家なので、私も帰省と言える帰省をしない。なにも無いからだ。特別なことも、当たり前のことも、なにも無い家で育ってしまったので、クリスマスは仕事で忙しいほうが精神衛生上いいのかもしれない。

 

今日はサンタさんが来る家に、ちゃんとサンタさんが来ますように。

サンタが来ない家で育った私はそう祈って眠ろう。

 

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それ以外要らない

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今期のアニメ『やがて君になる』がとても好きだ。

リアルタイム放送は、テレビをつける体力が無く観ることが出来ていないが、配信を利用して休みの日に追っかけて観ている。最近隣の住人が夜中でもうるさいので、深夜ではないにしろアニメを観る時は爆音で観ているので臨場感たっぷりだ。

 

ところで、友人が教えてくれたのだが、『やがて君になる』は略して『やが君』だ。以下『やが君』とする。

 

『やが君』のエンディングテーマの『hectopascal』(小糸 侑(CV:高田憂希)/七海燈子(CV:寿 美菜子))という曲も好きになり、シングルCDをポータブルオーディオに落とし込んだ。

やがて君になる ED Full - hectopascal - YouTube

 

歌詞にしっかり2人の物語が織り込まれていながら、スキップして進むようなリズムと2人の声が可愛くて楽しい。「やがて君になる」という言葉が音楽の中に紛れ込むのも面白い。

 

そのタイトル曲は当然良いのだが、カップリングの曲までも2人の関係性を色濃く音楽に起こしているという、思いがけずの名盤だった。

 

カップリング曲『好き、以外の言葉で』には、家から通学路出会う2人、廊下、夜眠る前、また通学路までの、2人の頭の中を覗いているような物語だ。

ただその日常の中に2人のあいだには「好き、以外の言葉で」が流れる。

まず冒頭で、「どれくらい他人」かと大衆向けに2人の距離感を図らなければ、という『外』を意識した一文がある。それでも、「好き、以外の言葉で」やりとりを意識しなければいけないほど、「好き」を意識している。

しかし、この小糸さんと七海さんの関係性として、「好き」の一言は2人のバランスを崩しもするし、バランスの要でもある。「好き」と伝えたいから伝えるけど小糸さんに「好き」の気持ちが伝染して欲しくない七海さんと、たとえ「好き」でも「好き」になったら七海先輩を突き放すことになってしまうから、ただ受け入れることでしか先輩を繋ぎとめられない小糸さん。

 

物語中の2人は

七海さん「好き」

小糸さん「本当、私のこと好きですね」

この関係を壊せないのだ。どちらも、進展も変化もしない。

 

いや、もうこの2人の間で「好き」以外の言葉のやりとり必要なくない?

 

と思う視聴者だが、2人には学校という社会で役割を遂げるため、『外』を意識しなければいけない。2人だけの檻に2人を閉じ込めることはできない。だから、いつも意識して『「好き」以外の言葉』を探して会話をする。

 

いや、もうこの2人の間で「好き」以外の言葉のやりとり必要なくない?

 

しかし、「好き」以外の言葉を探しているからこそ、ちょっとしたことがすぐに伝えられなくて、もどかしく感じて後悔したり、夜に携帯電話でメッセージのやりとりをするのだ。そこでも、「好き」以外の言葉を探している。

 

いや、もうこの2人の間で「好き」以外の言葉のやりとり必要なくない?

 

しかしそうして、お互いを思い遣っているからこその関係でもある。だからこそ、槙くんの愉しみになっているのだ。

 

ちなみに『hectopascal』がエレクトロ感のある曲に対して、『好き、以外の言葉で』はウィンドチャイムの音がよく似合う、爽やかな王道の楽器の音が重なる。曲のトーンの割に2人の歌声は落ち着いているので、学校の授業とかで歌ってほしい。音楽のことはよくわからないので、合ってるかはわからない。

 

近所のTSUTAYAで発作的に『やが君』OP、『SSSS.GRIDMAN』のEDと一緒にレンタルしたが、『hectopascal』は同じシングルCDながらも濃度が高い。

 

好き、だけ言える関係性ってすごくストレス無くていいな、と思っている。小糸さんには悪いけれど。

 

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さんまんえん

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3万円。すごいおかね。大金だ。

私にとってはそうだ。

しかし、結婚式のご祝儀ならどうだ、という話をTwitterの流れで見た。

【意外と歴史浅い】なぜ?結婚式のご祝儀3万円習慣は、合法的なカツアゲである。 | ベランダゴーヤ研究所

結婚式のご祝儀を、誰にいくら贈ったか、flyingspaceshipはひとつひとつ管理してはいない。友人やお世話になった方になら、おそらく3万円を基準に考えただろうから3万円を贈ったと思う。

いや、ただ一度、結婚式の2ヶ月後に後輩と不倫して会社を辞めた奴の結婚式には、3万円より少なく出した気もしなくはない。結末はそうなったにしろ、式は善いものだった。

 

この記事で言われていることもまぁわからなくはない。そういうふうに思う人もまぁいるでしょうね、と思う。

私も3万円は大金である認識だからだ。

しかし、私はそこまで頻繁に結婚式に出席したわけではない。多い時で年に2回か、年に1回が続くという程度だった。

そのため、毎回の結婚式が新鮮で楽しかったし、どれもそれぞれ目出度く、善いものだった。みんな違ってみんなよかった。

楽しくってみんなニコニコしてて、ご飯は普段食べられるようなものじゃないし、知っている人の綺麗な姿も見られるし、非日常空間を充分に体験できるので、まぁお祝いの気持ちも含めての参加費としては、個人的には妥当だと納得して贈っている。

「世間の風潮に流されないぞ」という強い気概もないので、世間の風潮が3万円はダメ、となったらそれに沿うと思う。「ある程度の柔軟性と強調性を試されているのかもしれない」と勘ぐる人もいるだろう。なにがどうなっても、裏読みをしたがる人は絶えないだろう。

 

というか、そもそもお金や金額以前に、その人間関係に疑問を持たないのだろうか。

上記の記事の中にも

別に大して仲良くもない友達の結婚式の御祝儀3万円。

とあるが、『友達』とは大して仲良くない奴のことを言うのか?

 

私は『友達』とは仲良くしている人のことをそう呼ぶ。ましてや、結婚すると知らされ、結婚式に招待されるような距離にある友人が『大して仲良くない』ならなぜ連絡があるのか?

そもそもそう思うなら、出席しなければいいのではないか?

結婚式は欠席で減給されるものでも、罰金が徴収されるわけでもない。ご祝儀の値段についてはネットで愚痴れるのに、結婚式の欠席の返事は出せないというのか。ママに電話してもらえばいいのに。

 

というか、人間関係の作り方がおかしい。

友達は選べ。

これを悪く捉えるか、良く捉えるかは人それぞれだろう。だが、ご祝儀どうこう言うようになるなら、もう子供じゃないんだ。

私は友達を選んで、いい友達に恵まれている。全部、選んだ結果だ。大して仲良くない奴と、過剰なコミュニケーションやスキンシップをとらなければいけないことって、あるのだろうか?大学生じゃあるまいし。

 

私は今の周りの友人の結婚式が、毎月とかにならなければ、なるべくお祝いの気持ちを持って準備と参加をさせて頂きたいと思う。

友人のいい顔を見に行きたいからだ。

友人のいい顔は可愛いから。

 

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『憧れ』は絶対やらないこと

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私の見ているTwitter(世界)では、最近、声の配信が多い。

 

私が応援しているJOHNNYPARKのじょにらじ(youtubeにて)は以前からやっているものなのだが、

Twitterでもフォローしている何人かの方が、不定期にラジオをやっている。

 

ラジオに親しんだのは中学生の頃だ。姉に勧められてお風呂でラジオを聴くようになった。

中学2年生くらいでポータブルMDプレーヤーを買ってもらったので、通学中や勉強中、常に音楽を聴いていた。それを見て、姉も私が特別音楽が好きなのかと思い、ラジオを勧めたのかもしれない。

しかし、今でもそうだが、音楽に特に強い拘りがない。ほぼ毎日音楽を聴いて移動しながら、30歳までなんのファンでもないままだった。

ラジオの話を同級生とする機会があった時、「話が面白い」とか「リクエストしたい」などの話題が出たのには驚いた。

完全にBGMとしてしか聴いておらず、人の話はほとんど聴いてなかった。私にスピードラーニングは向いていないだろう。

 

しかし、何人かの方のラジオや配信の声を、今聴いてみるとみんな面白い。もちろん全部は聴けていないが、ふだん交流していない人の話し声をじっくり聴いてみる、というのは不思議な気持ちになる。興味があるのか無いのかわからない関係性だな、と思う。たぶん私は充分興味があるのだと思うが。

 

思ったより低い声だな、とか、文章から想像した話し方とは違うな、とか色んな感想はある。それは全部、自分の先入観であることもわかる。こんなに先入観を持って、Twitter状のこの人を見ていたのかと、話し声だけでもいくらでも挙げられる。

 

私も声の配信には憧れはある。ただ、絶対にやらないと思う。やらないからこそ、憧れになるのかもしれない。

 

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