宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

消極性からくる積極性

こんにちは。

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おはようございます。

flyingspaceshipです。

 

flyingsapceshipという人間は『なにごとにも積極的に取り組む』人間に見られることが多い。私自身も、学生時代、そう思っていた。必要だと判断すれば、すぐさま行動に移す。それは今でもそうだ。

そこになにか物事が在れば、誰よりも、率先して、必要なことを考え提案し、行動する。

 

しかし、そこに私の要望は無い。

そのように評価されたいわけでも、誰かと競争したいわけでも、その事柄自体に関わりたいと思っているわけでもない。『必要』だと判断しただけだ。

「あなたはどうしたいですか?」「なにがしたいですか?」と言われても、そこになにも物事が横たわっていなければ、やるべきことがなければ、なにもしたくない。

 

しかし『必要』と判断したときに、なにをもって『必要』なのかを考えているのだろう。もしなにもしなかった場合の悪い想像をして『こうなったら嫌だから』『こう言(思)われたら嫌だから』という理由から行動が『必要』と判断しているのだ。

私の頭の中では、すでに『なにもしたくない』というルートからの着地点が想像できるのだ。ネガティブ思考なため、だいたい悪い結果を思い浮かべる。悪い結果にはなりたくない、嫌だな、めんどうだな、と強く思う。嫌なことから逃げるための、積極的行動なのだ。

 

だから趣味と言える趣味が無いのだろう。

どうなってもいいから自分がやりたい、と思うことは無い。嫌なこと、悪いことを起こさないために、日々選択しているから、自由な選択肢を作成できないのだ。

仕事はいつでも仕事があるので、マイナスは生む理由が無いために、一所懸命になれるのだ。必要だと判断するものしかないので、スマートな思考回路になれる。

私の『仕事で出来ることが私生活でまったく出来ない』のはこういうことかもしれない。

 

本日も、愛しています。

2020年ゆめの話がこわれる

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おはようございます。

flyingsapceshipです。 

 

前回iPadを買うつもりで書いていたが、結論として、iPadは今年中には買わない。

 

色々理由はあるが、一番大きな理由は私はソニー製のWALKMAN愛用者だからだ。

AppleでいうApple Music、SONYでいうMusic Centerと、それぞれの音楽アプリがある。どちらもiPhone/iPadで使用できるが、iPhoneiPadWALKMAN本体と繋がる術を持たないのだ。

Macだったら別、とのことだが、明らかに分不相応だ。

また、ノートPCがWindows 7が御臨終&本体もバッテリーが植物状態のため、iPadである程度その穴を埋めようとしていた。しかし、WALKMANに関してはそれが埋められない。

 

そのため、ヨドバシにいたAppleの案内スタッフに、タッチペンがiPadレベルに使えるPCへの買い替えを勧められた。

金額は予想していたくらいの金額ではあるが、いつもの買い物のテンションでは決断できない価格ではあるので、ひとまず即決はしていないのと、使い終わったPCを引き取ってくれるらしいので後日持って行って、新しいPCを買うことになるだろう。

ノートPCが現役であれば、お絵かき帳としてiPad購入もあったが、いまはタイミングが悪すぎたのだ。

ただ、iPadでしたいことがiPadでしか出来ないことではないと理解できたための選択だ。

どのみち私には分不相応だったということだ。

 

私が月収50万(手取り)だったらなにも考えなかっただろうな、と思うと悔しいが、現実の話をしないといけない。

 

ゆめを叶えるためには夢見ていられないのだ。

 

本日も、愛しています。

2020年ゆめの話

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おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

2020年にやらなければならないことは、まず、10年一度も渡航記録のついていないパスポートの更新だ。

忘れないようにしよう。

 

あと、ノートパソコンの買い替えだ。

いよいよ夢のipadにすることが現実味を帯びてきた。たかだかipadくらい、と言われるかもしれないが、一度に数万単位の買い物を滅多にしない人間にとっては非常に難題なのだ。

ただ、そんな私にも「もしipadにしたら」の夢みたいな寝言みたいな、未だたられば話でしかないことだが、ビジョンはある。ヴィジョン、か?

 

本当に寝言だと思ってもらっていい。自分でも「私ごときがなにを」と思っている。でも、淡い願望はあってもいいじゃないか。助けてくれ。

 

絵の仕事をしてみたい。

人に私の絵を必要とされてみたい。

 

本来、ipadがなくてもやっている人の方が多いだろうし、やろうと思えば自分から売り込みに行くものだと思う。絵の仕事をしている人にとっては、完全に戯言だろう。

仕事、という形をとって、人に必要とされたいのだ。

私は人として欠けているところが多いので、絶対評価では存在意義がわからない。数値に換算できたほうが存在する意味を納得できるのだ。

 

ただ、twitter等で「お仕事募集中」などと言えるかがわからない。それすらおこがましいとやっぱり今も思っている。しかし、絵を描いている人だとわかるようなことはしたい。どんどんハードルが下がる。

無言で活動してても運命の相手が見つけてくれるとは限らない。ちゃんとアピールしていかないといけない。その理屈に感情がついていかない。その心の準備もできていないから、数万円支払ってipadを手に入れることすらできないのかもしれない。

私はとても臆病なのだ。

 

本日も、愛しています。

今日は雪でしたね

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おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

朝起きてカーテンを開けたら、重たそうな空からしとしとと雨が降っていた。

「なーんだ雨じゃん」とカーテンを閉めてうっかり二度寝してしまったら、見事に寝坊した。いつもの工程を5倍速くらいにして準備をして、温かいお茶を用意するのは諦めて玄関を開けたら、雨は朝10時過ぎに雪に変わっていたようだった。

雪のためによく冷やされた外気に怯んだが、極度のめんどくさがりの私はマフラーもせずに猛然と家を出た。傘は玄関にあるので持って行った。冬はマフラーを玄関に置いたほうが良いだろうか。

 

不幸なことに、屋内であるはずの仕事場も今日の冷気に侵されていた。構造上仕方がないが、空調を調節しても今日の気温に適応できていなかった。使い捨てカイロを腹に貼り、足の裏に貼り、ポケットにも仕込んだが、まったく体温が上がらない。

 

昼休憩では、どのみち外に食べ物を買いに行かなければならない。その時、ひらめいた。

「走って体温を上げればいいじゃん!」

寒すぎて脳が筋肉になってしまったのだろう。

しかし、目的は達成された。17年以上前運動部で習ったウォームアップ用のランニングを思い出し、体温はばっちりあがった。

体温を上げ、食事を摂り、再び冷気漂う仕事場に戻ったが、一度上がった体温がほどよく身体を保温してくれた。

 

もちろん今日は非常に寒かった。けれど、寒さに対抗する術がなにかしらあるにはあるので、冬のほうが私は好きだ。

夏は全裸になったとしても暑さはしのげない。いまから夏が怖い。

 

本日も、愛しています。

1.16日記

ただの日記。

朝はだらだら起きる。スマホの目覚ましの最後通告から10分経って、ようやく布団からズルリと生まれる。

赤い蓋と土台のガラスケトルでお湯を沸かして、エアコンをつける。前日使ったタンブラーが、昨夜きちんと洗われていることを確認してほっとする。自分でやったはずのことも朝は覚えていない。

お湯が沸いたころには顔の保湿を始められる。その前に、タンブラーにお湯を入れて仕事中に飲めるお茶を作っておく。またお湯を沸かす。

オイル、化粧水、マッサージ、美容液、マッサージ、クリーム、マッサージ、オイル、マッサージで10分か15分。

マグカップティーバッグの緑茶を淹れたところで、朝食になるような食べ物がないことに気付く。だが、昨日はラーメンを食べたな、と思い返すと不思議と空腹感が後退した。作るのは絶対にめんどくさい。行くまでに空腹を感じたら、買って仕事場で食べることにする。熱い緑茶を啜りながら、保湿したものが顔になじむのを待つ。

適当な服に着替えて、化粧を始める。下地、ファンデーション、粉、マスカラ下地、眉パウダー2種、眉リキッド、チーク、クリームアイシャドウ、パウダーアイシャドウ、眉マスカラ、マスカラ。10分。

髪にトリートメントミルクとオイルをつける。ドライヤーでマスカラを乾かしつつ、髪の毛もドライヤーで整える。

もう出掛けられるが、少しスマホを見てだらつく。行きたくないな、と思いながら。

余裕を持って出られる時間から5分を過ぎたのを見てから、軽やかに、俊敏に動いて出かける。

早足で歩いて、いつも通りの余裕のある時間の電車に乗る。コンビニでバケットサンドを買って職場で食べる。この時間に休憩室で食べ物を食べるような輩は私くらいだ。

 

仕事が終わってぐったりしていると、頭に浮かんだのは家で硬くなった食べかけのフランスパンだ。そんなときの対処法は、フレンチトーストしか知らない。

しかし、フレンチトーストは作る前にしっかり卵液に浸さないといけない。その時間、何も食べずにいられるだろうか、否、いられない。フレンチトーストの前菜としてのなにかを選ぶためにコンビニに駆け込む。

気が付いたら餃子を買っていた。フレンチトーストの前に餃子かぁ…と思ったが、なぜそうなったかは思い出せないし、まぁ直観でしかないだろう。

家に着いて手洗いうがいをし、卵液を作るかと思いきや、部屋の床を箒ではいて掃除機をかけ始めた。なんとなくだ。

終わったら餃子をレンジにかけ、卵液を作りカチカチになったフランスパンを浸す。フランスパンの端のほうは縦に切って浸りやすくする。

また緑茶を淹れて、餃子を平らげて、去年買ってから非常に気に入っているKEYUCAの鉄フライパンを準備する。

www.keyuca.com

中火~弱火でバターをたっぷり溶かす。じっくり焼く、を繰り返す。表面さっくり、弾力を取り戻したフランスパンに卵と甘みが広がる。ケーキシロップを少量かけて、PCの起動を待ちながら緑茶と一緒にゆっくり食べる。

 

餃子とフレンチトーストは全く違う世界線だな、と思った。

2日分の食事をしたような気持だ。

 

本日も、愛しています。

香りつきハンドクリームは緊急回避アイテム

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こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

私は『香り』に無頓着だが、『ニオイ』には過敏だ。

ここでいう『香り』は、化粧品類などに入っている人工香料や自然香料など、目的を持って発生させられる『香り』だ。『ニオイ』は、体臭や経年変化、酸化、食べられないものなどから発生する、意図の無い悪臭のことだ。

 

製品や商品として存在した、人間の意図が介在したものに関してはあまり拘りが無いし、いままでそういったもので『絶対的に不快』と感じたことが無い。自分が求める効果や使い心地に沿っていれば『香り』はなんでもいい。

アロマもそれなりに使うが、効果があればなんでもいいので、だいたい効果的に使える。人によっては「快眠は欲しいがラベンダーが無理」という場合もあるらしく、気の毒だな、と思う。

 

拘りが無いので特別好きな『香り』というのも存在せず、香水をつける習慣も無い。

ただ、少し前に金木犀の香りのハンドクリームと香水がとてもいい香りだったので、購入してみた。香水は、たまに眠る前に布団の上空あたりに2プッシュくらいする。ハンドクリームは、出先で乾燥を手に感じたときだけ少し使う程度だった。保湿力も問題ない。香りが無くてもいいのでは、と思うこともある。

 

しかし先日、いつも行くスタバに、いつもは夜に行くがたまたま珍しく昼ごろに行った時のことだ。

平日の昼だったが席は埋まりつつあった。ひとまず適当な席をとり、レジで商品を受け取って戻った時に気付いた。

 

「人間の悪臭がする」

 

私の右手の席には、どうやら個人ミーティング中なのかスーツを着た40代後半男性と30代半ばくらいの男性2人がいた。左手の席には、大学生くらいの若い男性がテキストとノートを広げていた。席同士はそれほど近くない、ゆったりとしたものだが、コーヒーの香りでは隠しきれない、明らかに『ニオイ』が発生している。

しかも、非常に運が悪いことに、発信源は両方からだった。さらに、私は紙カップではなくマグカップで注文しており、店内はいよいよ満席だ。

 

『ニオイ』が意識を浸食していく中、焦りを感じながらも私は頭を高速回転させ、鞄の底にある金木犀のハンドクリームを取り出した。あくまで落ち着いた風を装って、ゆったりとした手つきでハンドクリームの缶の蓋を回し開け、左手の中指の先でひと掬いした分を右手の甲に塗り、右手で蓋を閉めたあと、両手にゆっくり塗り広げたあと、すぐさま祈るように両手で鼻と口を包んだ。

 

その場は金木犀の香りのハンドクリームでなんとか乗り切ったが、本音を言えば、本来なら飲食店内で化粧品の香りがするものを出したくはない。

 

今回のように他の回避ルートが塞がれた時だけ、やむなく使うだろう。非常に有効ではあった。

ただ、今回は『ニオイ』だったので『香り』で対抗できたが、『香り』が過剰なときに同じ種の『香り』が有効かはわからない。

 

毎日、「自分は無臭だったらいいな」と思いながら必要なケアを施し、外出する。

そろそろ加齢臭が怖い。明日にでも、数時間後にでも、発生するのでは?とか思ってしまう。気を付けるに越したことはない。自分がされて嫌なことは、無意識では人にしたくない。意識的にであれば、必要ならばするだろうけど。

 

本日も、愛しています。

 

 

テレビについて

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

昔はテレビを観るのが好きだった。

特にドラマはよく観ていたし、その合間に流れるCMも好きなものが多かった。

1990~2006年までのテレビドラマやCMについてなら、好きだったもの、印象的だったものは結構記憶しているほうだ。

 

しかし、ひとり暮らしの最初の4年くらいはテレビを持っていなかった。

バイト先と学校の往復で家に居る時間がなかったため、必要なかったのだ。

社会人になって、仕事上で必要かと思い買ってみたが、思ったより役立つことは無かった。

 

ここ数週間は家が片付いたために、家に居る時間が増え、たまにテレビも電源をつけてみる。面白ければ見続けられる。しかし、違和感を感じたり、BGMにもならないならすぐに消してしまう。

 

年末に実家に帰ったとき、相も変わらず常にテレビがついていた。昔からそうだ。リビングに1台しかない大型テレビは、常に電源がいれられていた。リモコンを持つのは、父か姉だ。

久々に帰った実家で、そこでとても不快に思ったのは、姉のリモコン操作だ。彼女はCMに入る度にせわしなくチャンネルを切り替える。久々に帰ったので、私は思わず「えっ?なんで変えたの?それが観たかったの?」と訊いたら「CMじゃん」と言い放った。

姉の采配で、番組表を確認することもなく、バチバチと画面が定期的に切り替わる。せわしない。落ち着かない。集中できない。「もう消したらいいのでは?」と提案するも、それには曖昧な返事しか返ってこない。

この家では賢い人間には育たないなと思った。

 

そもそも私は15~30秒ではっきりとしたメッセージが伝わるCMは好きだ。短時間の中でストーリーもあり、視聴者の想像の余地も残してくれるのは、大きな作品だ。

最近ネットで話題になったJR東海も、幼いころであるが覚えている。

ハウスのシチューで、安全地帯の『反省』という曲がかかったものも好きだったし、サントリーの烏龍茶のCMソング集なども、CDで持っていた。

 

テレビも完全悪ではないはずだ。

楽しめて、集中して観れるなら、きっと記憶には良い作品が残る。

 

本日も、愛しています。