宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

知能指数について

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは考えたことを、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

私の知能指数は2016年の夏時点では112だ。

 

いきなり自慢なのか謙遜のフリなのかもわからない微妙な数値で混乱させたかもしれない。

訳すると『ものすごく普通』だ。

フリーザ様と同じリズムではあるがまるでゴミだ。

 

知能指数を測るテストを行った医者からも『ものすごく普通、一般的な数値』という太鼓判をいただいた。

 

今更だが、私はものすごく普通なのだ。

良くも悪くも飛び抜けた非凡な才も欠落もない。

 

普通という点ではマウントを取ってもいいかもしれない。

マウントを取るのは体力がいるので取らないだけだ。とれる。

 

この知能指数を測るテストのおかげで色々と安心もできた。

そのうえ、こうして勝手に突っ走って自己分析して脳を解剖するより、早く的確に自分の脳のクセがわかった。

 

このテストは医療機関で受けることができる。

幻覚じゃなければ、私は医療機関で金を納めて受けた。

 

受けてみて思ったのだが、なぜ、みんな受けないのだろう?

 

昔テレビでIQテストなるものが流行った時期があった。

あれをやってみたこともあるが、正直全然違う。

目的が違うのだからあたりまえといえばそうだ。

 

なぜ、みんな受けないのか?ということだが、私のように自主的に受けに行けという意味ではない。

 

社会全体が健康診断のように当たり前に受診する体制にならないのはなぜだ?という意味だ。

 

我々は、学校で友達ができないから、会社でのコミュニケーションがつらい、かなしい、なんか無理、という理由でバッタバッタと建物から人が飛び立つ時代を駆け抜けて生きている。

 

それを良しとしないならば、『I can fly』と叫ぶ奴がどこまで本気なのか判別するために、メスを入れずに脳を解剖できるテストは有用な情報源ではないだろうか。

 

果ては、人生において高校受験、大学受験、就職採用とあるならば、どこかにそのテストの結果の用紙を提出させるアクションがあってもいいのではないだろうか。

 

学習内容と学歴と知能指数の内容が著しく矛盾した奴がいたら、色々とヤバイ可能性をあぶりだせる。

その上、自覚も持てる。

 

昨今の話題でもある、就職採用試験においては日本に限り、ノックの回数やお辞儀の角度まで決められていることに海外の人間が疑問を呈している。

 

『能力に関係ない』と。

 

日本人の言い分としては、こういったことを常識のように設定して、そこに埋もれてくれない奴は扱いにくいと判定するためのささやかなトラップでしかない、と私は思う。

 

扱う人間も所詮日本人だ。

「奴隷採用か」と言う奴は、こういうテストをした上で人を人として扱わないつもりの文化なのだ。

 

ただどうせ能力に関係ないことをさせるんだったら、完全に知能を数値で測ってやってもいいのではないか。

 

だってそのためのテストが全世界で実施されているのだし。

 

そうなると社会の崩壊がどうとか、いう奴が、今、いそう。今、まさに。

 

一回そうやって崩壊してみたらいい。

崩壊して初めて均等に数値をならすように採用するようになる。

 

そうなることできっと犠牲になる人間もいる、とかそういうことで「崩壊が」と言うのかもしれない。

 

しかし、今は変革期でもない社会のために、なんか色々無理になって見えない世界に飛び立つ人間が後を絶たない。

 

幕末期でもないのに、社会のための犠牲者が出ていることの方が異常だと思う。

 

ただ、崩壊したらいい、はあんまり言うと反日がどうとか難しいこと言われる。

 

崩壊ではない、改革だ。

 

みんな好きだろう?改革。

 

一時期その熱に沸かされてた時期もあっただろう?

よくわかんなかったけど。

 

 

政治のことはよくわからないけども、自分の生活が良くなることは誰かにしてほしい。

 

 

これがリアルマジな30歳のどうしようもなさだ。

 

 

細かいことなど考えていない。ざっくりと鉈を振り下ろすような法案だ。

 

だから私のような人間がこんなことを言い出したとき『これはどうするんだ』『この可能性は考えているのか』と止めに来てくれるのが、人間性の違いによるセーフティだ。

 

知能指数が普通でも、人間性が『医学的に普通』とは言ってない。

 

いくら知能指数を測っても、人間性は別だという解が明確になるだけ良い経験になるのではないか。

 

そのテストを基準にどうこうしろ、よりも、テストをすることによって建物からバッタバッタflyする人間を減らすことはできるのではないかとは考えている。

 

身をもって経験したことが一番のちに実になる。

そう思って日々自分の身体で実験しているのが私だ。

 

このブログもその実験のひとつだ。

 

無料で使わせてもらっていてなんだが、アクセス解析を信用していないがためにtwitterで『誰も読んでないだろう』などとのたまっていた。

そのためか、『読んでますよ』のスターをくださった方もいる。

本当にありがたいです。考えを改めます。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

愛しています。