宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

利き手について

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは考えたことなど、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

私flyingspaceshipは、インターネット上を何も考えずコンテンツをつまみ食いして歩いている。

つまり美味しいところだけを食い荒らし、特に活動や発信といえることもせずのうのうと暮らしていることに少なからずコンプレックスを抱いている。

 

flyingspaceshipのメインの棲家はTwitterだ。

私のTL上は音楽や絵、文章のコンテンツ作成などで活動している人々が並ぶ。

対して私自身はインターネット上でもリアルでも、活動といえることは何も無いし、していない。

 

だからこその、このはてなブログである。

 

賃金が発生すること以外は3日続ければ満足し忘れるほどの飽き性の私が、なんとか10日ほどは続けていることに驚くが、改めて読み返してみたところ、『自分のことばかり』だ。

 

当たり前なのだが、こんなに『自分』の話を読み返してみると正直、胸焼けがする。一言で言えば胸くそ悪い。 

 

ほかの人のブログなども散策してみるも、やはりその人の『活動』に関する広報やプチ知識などで、読んでいる側への発信と影響がありそうな内容だ。

その活動に興味がある人にとってはとても参考になるだろう。

 

10日ほど続けて更新して、尚且つすべて2,000字前後あるのに、ここまで情報がないブログも無いだろう。

 

そして懲りずに私は私の話をかく。

ブログはもともとそういうものだ。

 

「なんの活動もしていないコンプレックス」を抱える『才能の貧民』が、能や名のある人間と同じことをするだけで自分のコンプレックスによるストレスを解消する。

これはとんでもない悪態だが、それでいいから『ぬるま湯インターネッツ』という優しい世界が生まれるのだ。私はそこで生きたい。

 

インターネットのフィルターを通して悪口を言いながら、リアルを眺めるタイムがあってもいいじゃないか。

昔はみんな、テレビに文句をつけながら一家団欒していたのだろうし。

 

その一家団欒だが、母の実家でのそれは幼い頃の私にとってストレスの時間だった。

 

母の兄である伯父に、毎回のごとく利き手を直せと怒鳴られたからだ。

flyingspaceshipは左利きだ。

食事の時間はみんなが利き手を使って箸などを使い、全員が食卓で相対する。

 

そうなると、右利きの人数が多ければ自然と左利きは目立つ。

 

だが、利き手のことで叱られるのは母の実家でだけであった。

自分の両親は一度も私の利き手に言及したことがない。と思う。

 

幼稚園で自我がはっきりと生まれるまで、自分の利き手が少数派だと気付いてさえいなかった。

※ちなみに10以上の数字の存在も、日にちの概念も就学時まで無かった。

 

いつ頃からなのか正確にはわからないが、執念深い私は幼稚園の年中ごろからと記憶している。

毎年、たぶん夏だった、母の実家に行くと食事の時間の挨拶がわりなのか、伯父が私の利き手について怒鳴りつけてきた。

左手を叩かれたりもした気がする。叩かれてなくても、その位の恐怖を与えられた。

 

怖いから泣いていた。

みんなと利き手が違うことがどうこうより、ナマハゲの様な顔で大声を出す中年男性が怖かった。

 

自分の家や学校では利き手の変更を要求されるようなことは無かったので、意味がわからなかった。

 

伯父は食事の仕方に関しても親族のほかの子供たちを叱りつけていた。

『綺麗に食べろ』『箸をきちんと持て』

それに関しては異論がない。伯父の息子のひとりはそれで毎回怒鳴られて泣いていた。

 

少なくとも未就学児2名が毎度泣いている一家団欒の食卓だった。

 

だが、私は幼い頃から箸が得意だった。綺麗に食べたいからだ。

その2つの問題をクリアしているのに、なぜわざわざ不慣れな右手を使えと言われるのか、余計に意味がわからなかった。

 

小学校入学からしばらくした頃に伯父に素直に訊いた。

 

「右手だと箸がうまく使えない。こぼしたり、汚したりしてしまうが、それでも右手を使わなければいけない理由はなんだろう?」

 

明確な答えは返ってこなかった。

ただ、伯父は「お前は意地っ張りな子供だ」と言っていた。

 

だんだんと大声で怒鳴ることはなくても、私の利き手をみるたびになにか一言添えるのは欠かさず行っていた。

「いただきます」の語尾なのだろうと思うようになった。

 

その内親族の子供たちも中学生高校生となり、母の実家に集まることもなくなった。

 

私は利き手を変更しようなどと一度も思ったことがない。

その訓練には左手を使っていた年数分必要になるし、その間当たり前にできていたことができなくなるのは無駄以外の何物でもない。

ただ、毛筆の習字だけは、筆の構造上右手で行なっていたが、習字を習っている同級生と同じ評価を受けることができたのは自慢だ。

 

逆の手を使っているというだけで、器用不器用は別だと判断した。

「『左利き専用』アイテムに頼るなど甘えだ」と言う過激派にもなった。

今は、「そういう人もいる」と言える優しい人間だ。使えるものはなんでも使えばいい。

 

高校3年生のとき、再び母の実家に集まることになった。

実は、幼い頃は私の父は仕事の都合で同行したことが無かったが、この時は同行していた。

 

親族が集まった会食の時間には、私の父と伯父が並んで酒を飲みながら楽しそうに話をしていた。

 

私の記憶がある中でも、その2人に毛髪があるのを見たことがない。

母の実家に行ったあと父と伯父が混ざって、家に帰っても伯父のトラウマから泣き叫んでいたこともある。

 

そこで伯父が高校3年生になった私を見て

「やっぱり変わらず『ぎっちょ』なんだなぁ」

と笑い話として利き手の話をした。

すると父が

「そんなことしたの?ダメだよ、俺それで吃音になったから、なにもしなかったんだよ」

「えっそうなのぉ?早く言ってよ〜」

 

 

クソだと思った。

 

本当にクソだと思った。

 

お前らの頭蓋骨にはクソが詰まってる、と思った。18歳の女子高生がだ。

 

 

オーバー60の親族が集まる中、伯父にも父にも、どんな言葉で2人の老いた身体の弱点から心を抉ってやろうかということしか考えられなかった。

 

 

『躾』という字は「身に美しい」と書く。

 

 

その時、父と伯父に、私は何か言ったかもしれないし、なにも言わなかったかもしれない。覚えていない。

 

でも、もし会う機会があと数回でもあるのならば、欠かさず彼らの『躾』の結果を言葉を尽くして伝えていきたい。

 

今こうして文章を捏ねくり回しているのも、あるか無いかわからないが、その時に備えての活動なのかもしれない。

 

死んでしまっては伝えることができないから、生きているうちに言葉を尽くしてやりたい。

 

『躾』は未来への成功のイメージがあってのことに、間違いがないからだ。

 

 

 

今回は根暗の呪いの気持ちをふんだんに閉じ込めてしまった。

もう呪おう!

 

本日も読んでいただきありがとうございます。

 

愛しています。