思いやりについて
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは考えたことや思い出したことを、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
昔、柔道の先生が言った。
「強くなりたいなら、思いやりが大事だ」
自分で言うとめちゃくちゃ胡散臭いが、思いやりは忘れないようにしている。
いつも相手を想像する。
例えば、昔仕事中に『いらっしゃいませ』と笑顔で言っていた私に
『なに笑ってんのよ!気持ち悪い女ね!』
とその場に轟くような大声を出した女についても、考える。
なぜ、私が気持ち悪い女だと初見でわかったのか。
そういう仕事に就いているのかもしれない。
そして、その日はきっと同僚にもぞんざいに扱われ、日常の仕事を少しでも減らそうと、気持ち悪い奴を排除したくて仕方なかったのかもしれない。
ただ、私はというと、仕事中だから、笑顔で『いらっしゃいませ』と言っていただけだ。プライベートでそんなことはしない。
その人にはきっと、私が趣味でそれをやっているように見えたのかもしれない。それか、あまりに自然に笑顔だったために、楽しんでいる気持ち悪い奴が気に食わなかったんだろう。
なるほど。
そんな人間がいるとは思ったことがなかったが、そういう人もいるんだな、と思った。
ただ、私は仕事中で、給料をくれる相手からの指示で動くことが優先される。
そういう人にとって、どれほど気に食わず、私の存在がストレスであっても、残念ながら、真逆の『無表情で無視をする』スタイルはとれない。
非常に残念ながら、応えることができないのだ。
ならば、その人のためにできることは、いくらでも罵倒されることだと考えた。
その人はひとりで来る度に、なにか怒鳴っていた。
配偶者や目当てのスタッフがいるときは、可愛い笑顔でいっぱいだった。
私は、その人がどちらの顔で来ようと、同じ笑顔で迎えた。
もし、その人のことを『気持ち悪い』と思っていても、同じ笑顔で迎える。
思いやりがあるから。
思いやりは大事だ。
想像するべきだ。
的確な答えを出すためにも、相手の気持ちを考えて、環境を想像する。
例えば、めちゃくちゃ疲れてなんとか終電で帰ってこれた日の、私の横を盛大にタバコをふかしながら自転車で通った男性だ。
自転車の前のカゴにも、後ろの簡易座席にも、たくさん買い物をしたのだろう、大きな真新しいレジ袋が乗せられていた。
レジ袋から透けて見えるのは、たくさんの野菜や調味料、牛乳パック2本などだった。
家に帰ると家族がいるのだろう。
だが、深夜だ。
奥さんに命じられたのだろうか。にしても、たくさんだ。もしかしたら、土日に家族揃って、なにかを作るのかもしれない。
彼はコンビニの前に自転車を停め、買い物袋はそのままに、タバコを消してコンビニに入った。
いま、ここで私がこの自転車を勢いよく横倒しにし、両足で飛び跳ねながら牛乳パック2本を潰したらどうだろう。
野菜や調味料はあとまわしだ、まずは牛乳パックなのだ。
破損して1番始末に困るものは、液体だ。
野菜や肉にたくさん牛乳がかかって、きっと奥さんにも子供にも、酷く失望されるだろう。買い物もまともに行けないのか、と。
その全ての元凶は、彼の『移動しながらの喫煙』であると気付くだろうか。
いや、きっと彼にはそんな想像力すらない。
運が悪く、気が狂った奴に遭遇したと思うだけだ。なにも変わらない。
そこで私は我にかえった。
すでに立ち止まって、その自転車をしばらく見つめていたのだ。
私が私の立場を思いやってみたら、そんなことをしても損になるだけだった。
思いやりは自分にも大切だ。
昔、柔道の先生が言った。
「柔道は、相手の動きを考えて、自分で動く。
自分が相手だったら、どう動かれたら嫌だろうか、を考えて動くんだ。
相手に、『思い』を『やる』んだ。
だから、強くなりたかったら、思いやりを持ちなさい」
性根が素直な私は、今でも忘れていない。
個人競技経験者、例えば、テニスやバドミントン経験者は特に、『強い奴は性格が悪いからだ。嫌なところに打ち込んでくる』と話す。
柔道は違う。強いのは、思いやりがあるからだ。
相手のことを想像している。
どうしてほしいのか、なぜそうしたのか、どんな環境にいるのか、いつも、見て、考える。
今日は雪が降っています。
東京も積もりそうですね。
本日も読んでいただきありがとうございます。
愛しています。