冬について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、考えたことについて、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
春夏秋冬のなかでは、冬は好きな方だ。
夏はとても苦手だ。
冬に裸足で家の中をうろうろしていると、つま先から感覚がなくなってくる。
そうなると、柔道をやっていた時のことを思い出す。
板の間で、裸足で待機しているときも同じく、どんどんとつま先の感覚が奪われていく。
ストレッチや筋トレで身体を温めておくが、つま先は冷たい板の間に触れたままなのであまり効果がない。
つま先の感覚がいよいよ「ゼロ 」になった頃に、試合や乱取り稽古の順番が回ってきたりする。
回ってきた順番は守らなければいけないし、「ちょっと足が冷えて…」なんて言ってられない、ブラック企業と同じ雰囲気がある。
一気にアドレナリンを噴出させて畳に向かう。足の指のことは忘れる。当時の中学柔道の試合は、基本3分で、長引いても数分だ。
数分後、ひと試合終えて、凍てつく板の間に戻る。自分の体温がかなり上がっているせいか、冷たい板の間を自ら温めてやることになる。
ふと、つま先のことを思い出す。つま先にあたたかみが戻ってきたと意識すると同時に、「そこ」に心臓があるかのごとく脈打つ。
両足の小指の爪がきれいになくなっていた。
血も出ていない。
アドレナリンが大量放出された中学生は、爪が剥がれようが、また別の時は、指が逆に折れていようがそれが目に入るまでは気づかない。
ちなみに、小指の爪がなくなるのは、結構あることらしい。
特に、軽量級でスピードで試合をするタイプに多い。
摺り足のスピードが速く、大技よりも足の外側を摺る小技をたくさん使うから、日々の摩擦から小指の爪がどんどん摩耗し、いつのまにかきれいになくなるらしい。
冬は特に、皮膚の怪我は気付きにくかった。柔道場の気温が低すぎて、血がすぐに固まるからだ。
しかしながら、体温が高い状態なので、深い傷の場合はさすがに周りが気付くので安心してほしい。
また、冬と言えば、年越し練習というものもあった。
12月31日の夜から1月1日の深夜にかけて、ひたすら乱取り稽古をするのだ。
鐘が鳴り始めたら、全員息が上がった状態で正座し、新年の挨拶をする。
意味がわからないだろうし、反発する声もあるだろうと容易に想像できる。
でも、あったのだ。
冬という季節に付随する、強烈な思い出だ。部活は中学柔道しかやっていないので、この思い出が色濃く残っている。
もしかしたら、優越感というか、選民意識というか、そういうものもあったかもしれない。
「ほかの同級生は、きっとこんな時にこんなことしていないだろう」という優越感だ。誰も羨ましがらないのに。
しかし、そういった中学生の心理をうまく見据えた指導者だったのかもしれない。
とにかく、冬のほうが寒さに対して『動く』という、能動的な対処ができるところがいい。
それを言えるのも、住んでいる地域のおかげだ。寒さが命に関わる地域も多くあるだろうから、『冬って最高だよね』とまでは言わない。
また、冬は服の素材が進化したため、より快適になったと思う。
アンダーウェアの進化は、今後も進んでいくのが楽しみだ。
残念ながら、私は去年アトピー性皮膚炎の悪化から、化繊の肌着を避けなければいけなくなったので、綿素材の進化を辛抱強く待つことにした。
また、冬はあたたかい料理が豊富になるのもうれしい。
胃が弱く、消化が悪いので、あたたかい食べ物はいつでも食べたい。
昔、真夏にコンビニのおでんを食べていたら、上司に「マジで気が狂ってる」と奇異の目で見られたが、冬はそういうこともない。
また、相対的に見ても、冬のほうが過ごしやすいのだ。
夏は必ずと言っていいほど、夏バテをする。気温が25℃を超えると、食欲が減りはじめる。
夏の暑さは、全裸であっても対処できないし、そもそも全裸には絶対になれないため、逃げ場はエアコンの効いた屋内のみだ。だからといって、エアコンにばかり頼っていると、それもまた夏バテになる。
夏は夜、外にいるのは好きだ。でも、テンションに任せることでしか生きる楽しみ方を知らないバカも、そこかしこに増える時期でもある。難しいところだ。あと、害虫も増えるのが嫌だ。
冬は夜は静かだし、星がより綺麗に見えるのもいい。
天体ショーがあれば、モコモコに着こんで、首が痛くなるまで空を見上げるのも好きだ。
今季は、気のせいかもしれない2つと、友人という証人もいる1つの、計3つの流星を見た。
冬が終わる前に、なにかひとつでも良いことがあったら、流れ星を信じたい。
本日も読んでいただきありがとうございます。
愛しています。