ホームシックについて
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
もうすっかり30歳のflyingspaceshipだが、年末年始や長期休暇の時期が近付くと、会社の人に『実家には帰るの?』と聞かれる。
この10年、同じタイミングで葬儀でもない限り、年末年始や長期休暇で実家に行ったことは無い。
そもそも、『実家に帰る』という表現が私にはそぐわない。
私の帰る場所は『私の自宅(賃貸)』だからだ。
学生の頃、バイト先の店長や社員さんに「そろそろ、ホームシックになったりするんじゃない?」と度々聞かれた。
その頃は、日銭を稼ぐだけでいっぱいいっぱいだったので、実家に行く時間があったら働きたい、と思っていた。
新卒2年目くらいでも、先輩社員や上司にも「実家に帰りたいとかないのか?」と時々聞かれた。
その頃は、実家に帰る時間があったら睡眠と休息を取るか、仕事の雑用を済ませたい、と思っていた。
おかしいだろう、と思う。
一人暮らしをしたくてしているのが私だ。
一人暮らしは、したくてしていない人間のほうが多いのかもしれないが、それでも、いい大人が『実家に帰りたくなる』と頻繁に言うのもどうか。
だいたい、実家、生家に一時的に行って、なにかそんなに良いことがあるものなのだろうか。
30歳にもなると、親もいい歳だ。
話に矛盾が多くなってきて、理論的、建設的な話ができなくなり、感情論や人情論(そんなものが論理なのかわからない)で年若い人間を否定しようとしてくる。
そこは私の苛立ちポイントだが、友人の話を聴くと
『お母さんの手がカサカサになった』
『お母さんの顔に皺が、白髪も目立ってきた』
『お父さんの髪が薄くなってきた』
『お父さんが小さく見える』
と切ないポイントが確認できてしまうという。
その点我が家は、私が物心ついたころから両親ともにカサカサだったしシワシワだったし小さいし、父は毛根が無い方が自然な姿だ。
相変わらず身嗜みに気を遣わないんだな、と蔑視し、確認するだけだ。
そんな確認をしに、年に何回も向かうメリットはあるのだろうか?いや、もちろん、用事があれば行っているし、頑なに行かないわけではない。
ただ、自分がいずれ『そう』なる姿を見て実感するだけだ。
今いる自分の家ではない、過去の家に行きたくなるのは、自分の家が本当の満足を得られていないからではないのか、と思う。
いや、だからと言って、私の家が最高に綺麗で、所謂『ていねいなくらし』などをしているわけではない。
ギリギリの生き方をしている30代は、そんなものは蜃気楼ですらない。ファンタジーだ。
手の届く範囲に本が散らばっている。虫は大嫌いなので、それが出ないようにだけ最大の気配りをしている程度だ。
ここの部分、めちゃくちゃ早口で話していると思う。
ちなみに最大の気配りは、『3ヶ月に一度の害虫駆除燻煙材』だ。
『毒エサを置く系』は嫌いだ。家に招いているみたいだから。
ホームシックはたぶん、幼稚園のお泊り保育が最後の体験だったかもしれない。
ただ、寂しいと感じたかどうか、印象にはない。
やっぱり、家族と違って、友人と泊りのほうが一大イベントだ。
私の家族に向けた視線は、『冷たい』と感じる人も多いと思う。
ただ、家族は関係性を繋ぎ止める努力をしなくたって、良くも悪くも『家族』なのだ。自分はその『子供』だ。
いずれ独り立ちするものが、過去の家に縋るのは家族の心配のタネになる。
心配はストレスだ。老い先短い人間に、健康に過ごしている人間からのストレスを与えるのは忍びない。老い先短いからね。
海野つなみ先生の『回転銀河』という漫画にもあった。
『家族だから、離れていても大丈夫』
好きではないからといって、愛していないわけでもない。
愛さないからといって、愛が無いわけではないのだ。
私が今興味があるのは、圧倒的に『自分の家族ではない人』というだけだ。
本日も読んでいただきありがとうございます。
愛しています。