宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

貴様をコンテンツにしてやろうか

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは気になるもの、考えたことについて、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

Twitterで暮らしていると、ちょくちょく目に入るネットの人間関係の話。

 

最近私が特に気になるのは

『そんな人だと思いませんでした(以下暴言』

みたいなテンプレだ。

 

始まりから終わりまでTwitter上の話で、そんな感想と罵声を他人に浴びせられる器用さと強靭な神経に驚く。

 

もちろん、Twitter上でわずかでもコミュニケーションがあったならば、それなりに相手に対するイメージが出来上がってしまうのは仕方がない。

同じ学校や職場でも、挨拶しかしなくても顔と名前が分かっていればイメージは固まる。『無視しない人』だったり、『自分が挨拶しても不快な顔にならない人』とかだ。

 

だからと言って、その姿がその人の全てだと思うのか?

 

いつも明るく話している人も、仕事が終わったら、誰とも口をきかずに家に帰りたいと願っているかもしれない。

それを『そんな人だと思いませんでした』と非難するのか?

 

24時間365日、寸分の隙もなく、他人のイメージ通りで過ごせる生身の人間がいると思っている、と解釈されてもおかしくない言葉だ。

 

それを『呟き』を見て浴びせてくるのだ。

 

Twitterは無料でも充分楽しめるツールである。ただ、『呟き』を繰り返しているのは、ツールではなく同じ人間だ。

『呟き』が、自分のための『無料コンテンツ』と勘違いしているのではないだろうか。

 

予想外の一面を見て、『自分のイメージを崩された』『裏切られた』と感じるのだろうとは、考えられる。

考えていることはわかるが、それは私の察しがいいからではない。そういう事を言う奴の思慮が浅いからだ。

 

だいたい、『裏切られた』とはなんだ?

まぁ、なにか個人的に約束していたのなら別だ。

もしくは、その相手が自らのイメージを大々的に固定していて、それ以上もそれ以下も決して発表しないと公言している場合だ。

 

Twitterに限らず、SNSは自分との人間関係だけでなく、相手の、知らなかった別の面が見られることが『エンターテイメント』なのではないだろうか。

 

つまりは『そんな人だと思いませんでした』は、『私から見える貴方だけを全てにしてくれ』という事だと考えてしまう。

 

人間椅子』とか作りそうな奴だな。

 

江戸川乱歩傑作選

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いや、蝋人形か?

 

とにかく、こういう思慮が浅く見える発言を、なんの疑問も持たずに他人に浴びせられる人間が発生してくるのは、『無料コンテンツ』に慣れすぎたからだろうか。

 

少しでもエンタメを提供したら、人間でさえも『無料コンテンツ』になってしまう。

一度満足したエンタメを見つけたら、それがずっと提供されるものと思ってしまうのだろうか。

 

相手にイメージの要求をするなら、逆に自分はどうなのだろうか?

『そんな人だと思いませんでした(以下罵詈雑言』

これに対して

「そんな人だと思われてたなんて思いませんでしたし、そんなことを他人に言う人だと思いませんでした」

とも言える。

 

flyingspaceshipは『ナイフを持つときは刺される覚悟があるということ』と、いつも考えて、ビクビクしながら小さくなってインターネッツ界隈に棲息している。向いているのかいないのかはわからない。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

愛しています。