キャラ萌えについて
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは気になるもの、考えたことについて、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
してますか?『キャラ萌え』。
アニメのキャラクターやゲームのキャラクターのみならず、『相棒』の杉下右京、ましてや『ひふみん』などなど、あくまで『キャラクター』であることをわかった上で、萌えている人がいるらしい。
そもそも『萌え』も、実はあまりわかってない。
『なんかよくわかんないけど、めっちゃ好きだし良いよね!』みたいなもんだと解釈している。
だからと言って、自分が今好きなものに対して『萌え』を実感しているかと言われたら、それはノーだ。
私は『萌え』ではなく、『なんかめっちゃ好きだから、それすごく良いよね!』と思うし、言うだけだ。
『萌え』もよくわからない上に、実感したこともないのに、そこに『キャラクター』が付く。
ここが一番、私がオタクになりきれないところだ。
キャラクターに共感ができないのだ。
キャラクター自身への共感ではなく、そのキャラクターの創造性やそこに込められた創造主のメッセージ性などを考えてしまう。
そのため、端的に言うとかなり『うがって』見ているし、自分のそういうところが『嫌な奴だな~』とか『狙おうとしてる』ように見えて、自分でも最悪な気分になる。
キャラクターに共感できないというのは、かなり致命的で、前のブログでも書いたが、まずみんなが泣いたシーンで泣けないのだ。
泣ける話であればそれなりに泣けるが、共感性を試されるシーンではそのズレが顕著だ。
『キャラクター』は実在しないから、と思っているところがあるのがいけない。
夢を見られないのだ。と、いうより、想像力や妄想力が大いに欠落している。
たぶんこれがあるがために、絵をかくといういかにもオタクらしい趣味がありながら、二次創作に手を染めなかったのだ。
そうなのだ。
実は、漫画の二次創作に夢中になったことがほとんどない。
たまに絵をかくくらいはあったが、現在の女性のオタクが文章であったり、漫画であったりの創作をするほどのことは経験がない。
『コミケ』という存在自体も、成人してから知った。
少し前に、JOHNNYPARKの『煩悩ドキュメント』に収録されている「まえがき」を、コマで割って台詞なしで絵にしたが、それが初めてちゃんとかいた二次創作かもしれない。
そろそろ本当に、オタクなのか、そうでないのか、道標がかなりぼやけてきた。
コウモリ野郎どころではない。
自分の存在意義を探しに、インドでも行っちゃうのだろうか。
絶対行きたくないけど。
本日も読んでいただきありがとうございます。
愛しています。