本屋さんについて
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、考えたことについて、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
休日はよく本屋さんに行く。
何故なら、本屋さんを愛しているからだ。
書店に勤めている人間を愛しているとか、そういう恐ろしい観察眼に拠るものではなく、表情の少ない書店員含め、無臭の本棚の板、ツルツルと磨かれた床、ぴかぴかで艶のある新品の背表紙、張りのあるPOPが並ぶ『書店という商業空間』が好きなのだ。
そのため私は、単一名称で呼ぶときは、本屋、ではなく、敬意と親しみを込めて、本屋さん、と呼ぶ。
店頭の新刊文庫が並ぶ、平積み台が特に好きだ。
数十冊の文庫の新刊が、すべて表紙を晒して並ぶ。
デザインも写真も絵も帯も、すべて把握できる。
目の前に垂直に立つ棚、そこから裾野のように伸びて広がる平台。
垂直の立体面と平面積両方に文庫サイズで絵や文字が所狭しと並ぶのは、小さな絵画・写真展のようだと言っても良い。
この棚から選ぶときは、目が掴まれるような、ビジュアルだけで選ぼう、と私は思うことが多い。
既刊文庫の棚を見るのも好きだ。
例えば、自分の知識用の新書を選ぶ場合は、検索ワードを決めて、その文字の形を頭に浮かべてから、整列する背表紙から探す。
Amazonで探しても結局同じ探し方になるのだから、自分の目ですぐ買えるものを探す方が楽しい。書店によっては検索機もあるが、まずは本棚をひと通り眺めたいのだ。
ひと通り目に入れておけば、思い描いた検索ワードに限らず必要なものに近い内容があれば、それを手に取る。
手に取って、それが違っても著者名を覚えて、単行本コーナーに行ってみる。より新しい見解が見つけられることがあるのだ。
非常にアナログで、しかも、非効率な方法かもしれない。効率や検索速度は求めていない、『ただ書店が好き』な人間ならではかもしれない。
できる限りの隅から隅まで眺めていたいのだ。
なにも無くても棚を眺めるのは好きだ。
目的は無いが、本を読みたいときの本を選ぶ。
人間が『見る』視点の動きにならって、Z字を描くように背表紙の文言を捉えていく。
その中で、自分が気になるワードがあれば手に取る。
間違いないものを読みたいというときは、大抵作者ごとで見ていくが、好きになると大体一度は読んでしまっていることも少なくない。
そういう時は、ネットにも頼るが、その時の既刊棚のエンドにある平台を眺める。
雑誌コーナーももちろん目を通す。
なにより、書店のメインでもある。と、私は思っているが、最近はそうでもないかもしれない。
しかし私はファッション誌は自分の服のテイストに限らず、どれも好きだ。年代もあまり問わずに購入することもある。
写真と構図が気に入ったときや、40代以降をターゲットにした女性誌は、ネットよりもリアルに信頼している人間がまだまだ多いこともあり、かなり興味深い。
ネットで見たことが雑誌に書いてあると信頼する、もしくはその逆も、という傾向もあるかもしれない。
だが最近はファッション誌が次々に棚から消えていく。
季刊化したり、ネット媒体のみになったりする姿を見る。
実際の10代か20代の女性から出た言葉だが、『雑誌はもったいないから買わない』とのことだった。
そうか、もったいないのか、と悲しい気持ちになった。
とにかく、本屋さんに行くと、かなり時間をかけて本屋さんに居るのだ。
かなり怪しいかもしれないし、怖いかもしれない。
実際のところは知らないし、聞きに行ったらその人間に無駄な恐怖心を与えるだけだ。
もちろん、事前に発売日を確認して、買うものを決めておいて、売り場とレジ一直線で購入することも多々ある。
私は、漫画に関してはその買い方のほうがスタンダードだ。
漫画オタクが漫画売り場に長時間いるのは避けた方が良い、という私個人の価値観による無駄な気遣いだ。
本屋さんは本を買うために、自分の時間を自分のペースで使って、迷えるところがいい。
ネットなら即座に特定されたものが表示され、それに関連するものが親切にもすぐ目に入ってくる。ついでに他人の評価もだ。
迷う余地が最小限にされ、決定までの思考ルートをいかに短縮するかを求められているのだろう。
それが悪いわけではない。当然すごく便利だ。
それに、私が書店にダラダラ居るのをよく思わない人もいるだろう。時間が許せば近隣の数店舗まで見るくらいだ。
ただ、未だに多くの人に知識としての確かさを共有できるのが、『本』であることは不思議でもあるが、媒体の強みとして強固でいて欲しい。
あくまで個人的な感覚でしかないが、特に『紙の本』が与える、感覚からの記憶や知識は脳に定着しやすいとも考える。
指先から伝わる紙の触り心地、紙の切り口、表紙の硬さ、背表紙の角、ページをめくる空気から伝わる紙の匂い。
スマートフォンの滑らかさを追求された、均一な触り心地だけでは得られない。
本を一冊読むだけで付随して得られる感覚が、『紙の本』はより多い。
実際、Twitterなどで美味しいお店の情報を読んだつもりでも、いざ行く時には全然思い出せなかったりする。先日、カレー特集の雑誌を買った時に、普段行けそうな駅で目をつけた店のことはすぐに思い出せた。
まぁ、そのくらいでしか、私の塵にも満たないほどの慎ましい生活では、影響は無かったのだが。
ちなみに私は同じ街に10年ほど、同じ地域に30年こびりついているのだが、特定の本屋さんが好きで、その本屋さんのカバーデザインが特別好きだ。
有隣堂はかなり大手で、三省堂も、ブックファーストも近場にあるが、なによりそこのブックカバーが好きだ。
いつまでも眺めていられる。
東京タワーを眺めている時と同じような『好きの感覚』がある。
見ていると安心するのだ。
— Flying Space Ship (@fryingspaceship) 2018年2月18日
なぜこれが良いのか、東京タワーと何が関連するのか、いつか説明できるようにしたい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。