女って○○だなって思いたい時
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
本や映画を選ぶ時たまに、『女ってほんとクソだなー!』て思える作品を選びたくなる。
いや、女性が嫌いなわけでは無いです。
頭の中の性別と肉体的な性別に苦悩しているわけでもないです。
ただ、そういう気持ちに浸りたい時があるんです。
泣ける映画が観たいとか、スカッとするエンタメ小説が読みたいとか、それと同じ感覚で、在る。
『女ってほんとクソだなー!』って言いながら、ニヤけて頭を抱えて、
『でもやっぱ好き!可愛い!そう思わせるところがまたクソ!』
と口惜しい心境を叫びたい。
女の嫌なところ煮詰めて、スパイスにセクシーとキュートを入れ込んだものとか、本当にそういう気持ちになる。
その面では『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の佐藤江梨子が一番好き。
狭量でビッグマウスで、でもスケール小さくて、エロくて可愛くて、汚くて醜悪とか完璧かよ。抱きしめたい。でも、調べたら私と身長差25cm以上ある。サトエリがうずくまってるときに抱きしめに行きたい。サトエリが足の爪切ってるときとか。
女のクソさに、ヤクザ系ホラーを加えたような物語が唯川恵著書の『テティスの逆鱗』だと思う。
クライマックスは完全にホラーと狂気と母性のぶつかり合いだった。
ウシジマくんみたいな身体のやりとりだった。
でも街歩いてると、女性はみんな目につく良いところがいっぱいある。
『テティスの逆鱗』読んでから歩いてると、知らない女性のどこが欲しいか考えてしまう。
「あ、あの女の人の脚いいな、欲しいな」とか。男性にはそういうの無いのかな。
映画はTSUTAYAでDVDを借りて観ることが多いけど、『女ってクソだなー!』のエンターテイメント作品はタイトルが「は行」のものに多い気がする。
その基準で選んでいると、クソ映画と評されるものでも、なんだか満足して観られる。
だって感想は総じて『女ってクソ!でも可愛い!』になるからだ。
先日は小川洋子『妊娠カレンダー』を読んだ。
女性特有の身体の変化をテーマにしてると、自然とその変化の当人だけに限らず、女のクソな部分が、まるで良いもののようにふんわりと現れるからたまらないものがある。
倖田來未発言でも見られたように、当人だけでなく、発信された側の動きもまた、新しい醜悪さを呼ぶ。
はじめの女が発した毒を、次々と鼠算的な増え方をさせる。その時女が主体になると、それはそれは触り心地の悪い毛布みたいなトゲトゲしさがある。
未だに倖田來未的な発言をすると、どわっとなにかが沸く。
そんな「女的」社会もまた、面白い。
デリケートなものがあるんですよ、なにもかも正論だけではないんですよ、という風潮がそれだ。
そういう空気が発したとき、私はついニヤニヤしてしまう。
女の人のそういうところが好きだからだ。
好きすぎるから、そういう作品で中和しないといけないのかもしれない。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。