宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

【おおきちナイト②】正義について

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

引き続き『おおきちナイト』感想だ。

おおきちさんが、友人である神田さんによって、ネット上での自分の評判を提供された時だ。

なかなかに攻撃的な内容(『今すぐ人生に絶望してほしい』とか)もあったが、おおきちさんはそういった意見に左右されるようなことは、唾棄すべき、という姿勢だった。

今後の自分の記事にはなんの参考にもならない、本当に自分が思っている正しい姿勢でいることが、自分の『正義』というようなことを言っていた(と思う)。

この『正義』という言葉に私の数少ないシナプスが動いた。

 

他者を顧みないほど貫こうという『正義』はあるだろうか。

他者に左右されない自分だけの正義はあるだろうか。

 

確かに、物事の正しい正しくない、の判断は私にもある。

しかし、それを貫くためのなにかをしているか、というとなにもしない。正義を貫くことに価値があるとは思っていないし、しかも、それが自分に利益をもたらせるとも思っていない。

 

ただ、ここで、『自分への利益』という条件付けをした段階で、果たして「自分の揺るぎない正義とは何か」と逆戻りの疑問が生まれてしまう。

利益を優先するならば、そこに『正義』は優先されないからだ。

では、私は『自分は利益が発生すること』のみを『正義』と捉えているか、といったらそうとは限らない。

そこまで冷徹になれるほど強くもなければ、中二病を拗らせ続けているわけではない。

 

おおきちさんの言っていたことを反芻すると、『他者の顔色を伺って、思ってもいないことを発言したり行動するのは、自分に嘘を付くことだ』『そのようなことは自分の正義に反する』というようなことだ(と思う)。

なかなかの無頼漢で、言いたいことも言えず世の中がポイズンに侵されている現代では憧れの対象になり得る姿勢だ。

他者の顔色を伺って伺って、最終的気が狂いかけて脳の検査を受けに行った私には無いものだ。

 

しかし、私だって、嘘をついていたわけではない。

なぜなら、思ってないことは言葉にして出てこないからだ。

 

他者の顔色を伺いながら、思っていることを言うべきか、言わないべきかの二択がまず発生する。

言わないのが一番楽だが、止むを得ず言わなければならない場合は枕詞に枕詞を重ねて、簡単に伝えるという、脳細胞の疲弊と引き換えの努力をする。

ただ、良いと思ったことは相手に喜んで欲しくて言うので、なるべく早めに、ただ言うべきタイミングが合っているかどうかの『顔色伺い』はする。

顔色を伺って生きるのは、嘘をつくためではない。そもそも思ってないことは、頭が良く無いので出てこない。

 

ただ、ここ最近は『イイネ』とウェブと実地のアクセス数が、価値観の大半を占めるような流れが生まれ、その価値観の度合いを測る『数値』に圧倒されることが多い。

どの程度『良い』と思っているかは関係なく、多人数が『イイネ』とタップすれば『良いもの』になり、その数値によって『多様性のある意見』に価値がなくなる気がする。

それに疲弊して捻じ曲がった人が、サブカル知識のマウンティングというものにも繋がるのかもしれない。

 

『コア』や、『ニッチ』という単語への理解度が低めの私だが、世の中の溢れるメディア運営で、そこも汲み取りながら、多数の価値観を集めようとすると、メディアひとつの一貫した姿勢だけでは衰退する恐れがあると思う。

 

おおきちさんの『一貫していない』メディアへの苦言もあったが、それが言えるのは、自身のキャラクターがすでに確立されており、『メディアとしての自身』の柔軟性に自信があるからかもしれないと思った。

 

キャラクターにブレがなければ、一貫した正義のなかで柔軟な結論が導き出される。と思った。

正義があるか無いかは、まず、ブレない自分に自信が無いと成立しない。

 

且つ、おおきちさんの発言には『根拠の無い自信って大事だと思う』ともあった。

自信に根拠が無いほうが、ブレないのかもしれない。

根拠を探していると、それだけで自信なんて根元から腐り落ちる。それを繰り返した結果、今の私になった。

 

おおきちさんに最後話しかけた時、『本を出した時に握手会するから!』と言っていて、私は「本を出すつもりなのか…」と僅かながら、その将来的ビジョンを持てる、輝かんばかりの自信に戦慄した。

私はというと、今も過去も自信が無いので未来が見えないポンコツだ。

 

また、ライターになったきっかけを話してくれて『ブログで見つけてもらって』と言う言葉から、なるほど、『見つけて欲しい』という意図があって更新するからこそ、ちゃんと自分の正義に沿った面白い文章にプライドを持てるのだな、と思った。

 

『ブレない』

『自信がある』

このふたつが、『貫く正義』が見つけられる鍵になるのだと思った。

今、まだ自信の根拠を探している人は、そんなものは今すぐ止めたほうがいいと解った。

 

 

 

 

 

『おおきちナイト』の感想は次で終わりにするけれど、1個目を更新した時点でいつもの5倍くらいアクセスがあり、ビクビクしている。

それだけ、おおきちさんが多くの人の興味関心を集めているとわかった。

 

すっかり人のフンドシで土俵に上がってしまったけれど、明後日以降はまたいつも通り自分のことばっかり書くので安心して欲しい。調子に乗れない。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。