【おおきちナイト③】構われなければ嫌われない
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
昨日、一昨日と続いた、イベントレポでもなんでもないただの感想文もこれで最後だ。
イベントレポは、おおきちさん自身もはてなブログで紹介している方のものがあるので、イベントの全容を正しく把握したい方はそちらがおすすめ。面白かった。
※リンクはあとでつけます。
ところで、実際おおきちさんのことをほとんどよく知らない私が、3日に渡ってブログのネタとして吊るし上げて、結局『おおきちさんを好きになったのか』。
嫌いではない。
ただ、以前より興味が出てきた。
好きかというとそう言えるけれど、まだはっきり好きと言いたくない。
例えると、離れたクラスでしかも違う棟の、友達の友達から噂で聞いた名前の同級生が、文化祭で面白いことをしていた、という感覚だ。
ここでも、私はただの観客に過ぎない。
まず、イベントの触れ込みは『嫌な気持ちになる』だった。
記事上だけでは嫌えない、と思い参加したわけだが、生身の、人間性丸出しのおおきちさんを見て、果たしてどう思ったか。
『構われて嬉しそうじゃん』
はっきり言って静かな嫉妬だった。
『嫌な奴』と、その評判が広く知られるにはまず、構ってくれる仲間が必要だ。
構う人間がいなければ、そもそも嫌うような人間はいないのだ。
大学時代、3年の冬まで友達がいない日々を過ごした私としては、非常に妬ましいとも言える。
それも、おおきちさん曰く『見つけてもらえた』からだ。
自身の能力が、人が構わざるを得ない環境を作り、むしろ『嫌な奴』という印象を持った人間こそ、まんまと「キャラクター作りをしたおおきちさん」の掌で踊らされているとも言えるのではないか。
おおきちさんの『勝ち確』の意味合いもここではっきりと形が見えてくる。
もう、おおきちさんの名前を見た、存在にアクセスした、それだけで、もう『嫌な奴』というキャラクター像とそれに付随するおおきちさん、というものに気を取られ、無意識下で100%構っている。
そして、存在を明確なものにしたのだ。
実際のおおきちさんがどうであれ、それが目に見える『おおきちさん』であれば、それをエンターテイメントとして受け取る以外、ただの観客に術はない。
構って、嫌う、が『おおきちジェットコースター』を満喫したことになる。途中で降りる隙はない。
ただ、乗ることになったのは、才能と魅力があるからだ。
素晴らしいことだと思う。
私たちも一般の生活で、自分がどんな人間かを輪郭づけるには、他者とのコミュニケーションは必須だ。
嫌っている奴の意見に耳を傾ける必要はないが、自分が信頼している、また、好きな人間には積極的に100%自分というエンターテイメントを味わってもらう。
そうすることで、魅力も才能も見つけてもらえる機会が増えるのかもしれない。
原石は削らなければ磨かれないのだ。
私は嫌われるようなエンターテイメント性を持つと、才能とかいう幻の前に、気が狂うので、出来る限り全力で波風立たせないように生きようと思う。
あと、おおきちさんがもし例え通り、学校の同級生であったら、開口一番、「あっ、嫌な奴なんですよね!」と言うくらいだと思う。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。