シードルについて
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
お酒の記憶を引っ張り出してみたら、案外、好きだったのかもしれない。
シードルという、林檎のお酒が好きだった。
一時期、あちこちでシードルという名前を見つけては飲んでみた。
しかし、未だに1番美味しいと感じたシードルに匹敵するものに再会できていない。
1番美味しいシードルを出していたお店が、最寄りの駅直結のファッションビルにあったのだ。
そば粉のクレープがメインで、スイーツ系はもちろん、がっつり肉野菜系も取り扱い、しかも意外なことにチェーン店ではなかった。
『クレープなんぞで腹が膨れるかい』という膨満感至上主義な方からのお叱りの声もありそうだが、わざわざ私が『がっつり』と表記したのに気付いているだろうか。
ここの肉野菜系クレープの肉は、確実に分厚かった。クレープの薄さは一般のそれと同等にも関わらず、肉だけは、皿の上のクレープが皿の模様かと思うほど、メインだった。
鴨肉なんかは特に、『薄切り?見たことないです』とばかりに赤々しい、正に肉体美だった。
客席にはそれを承知で来ているプリッとした腹を抱えた老紳士も多く、ビールやワインと合わせてほくほくと、福々しい顔で頬張っていた。
私はその頃、9割の休日をひとりで過ごし、部屋にこもるか駅ビルを徘徊するかでなるべく体力を消耗せず、日々の仕事に備えることしか考えていなかった。
常にひとりであったため、外食で美味しいものに遭遇しても、一喜一憂することも叶わず、ひとりゆっくりと咀嚼し、無表情とめちゃくちゃ小さい声で『ご馳走さまでした』とレジの人と会話するくらいだった。
そんな中、そのクレープ屋のメニューに『自家製シードル』の文字が加えられていた。かなりおすすめらしく、基本メニューの冊子だけでなく、1枚別になった季節メニュー表にも、写真と解説付きで加えられていた。
ひとりで昼間から外で酒を飲むほど酒好きでは無いはずだった。なぜ、その時それを頼もうと思ったのか、動機は明確ではない。色々なことに疲れていたとは思うが、本当に美味しそうに見えたとも思う。
その日は自家製シードルと、たぶんスイーツ系のクレープを選んだ。
クレープの前に、先に、シードルが来た。
明るいベージュの、和風の湯飲みのような陶器に入れられた、わずかに炭酸の細かい泡が浮き上がる透明な黄金色。
口元に運んだとたん、生の林檎を切った時のような、林檎がその場で割られているかのような香りがして、ジュースだったっけ?と思いながら一口飲んだ。
炭酸の泡が非常に細かいのか、ガスっぽさはほとんどなく、さわやかな刺激とともに、香りと同じく、切ったばかりの林檎を食べた時と変わらない味がした。
そのあとに、ふんわりとアルコール独特の揺らめきがきた。そこまで強くないアルコール感だったが、あまりにも美味しいので、アルコールによって体調を崩したくないと思った私は、クレープを待ちつつ、シードルを一口ひとくち食べるように飲んだ。
クレープに乗った実際のフルーツよりも瑞々しく感じ、また驚きつつ、クレープの甘さとシードルの透き通る果実感を楽しんだ。
シードル自体初めて口にしたが、あまりに美味しかったので、その当時の店長さんに会計時に『とても美味しかった』と伝えると、嬉しそうな笑顔で「青森県産の林檎をたっぷり使っている」とか、「オリジナルだから、他に無い」ということを教えてくれた。
まさに、そこでしか味わえないものだった。
残念ながら、その店はもう存在しない。
数年前に閉店している。
その店長さんがいなくなって、しばらくして行った頃、添え物のマッシュポテトが完全に凍っていたことがあった。
アンケート用紙が置いてあったので、『マッシュポテトが凍っていた。凍ったマッシュポテトはもう食べたくないと思いました』とだけ書いてレジで新しい店長さんに渡した。
その後に閉店した。
シードルは閉店間際まで間違いなく美味しかったので、アンケート用紙に余計なことを書いたことをとても後悔した。
しかし、きっと私だけがそう思ったわけでは無いだろうし、マッシュポテトも私に出されたものだけが凍っていたわけでは無かったかもしれない。
また、あのクレープと、あのシードルを、少しずつ少しずつ口に運んで楽しむ時間が欲しい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。