真面目な奴が音痴だと言われたとき
こんにちは。
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おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
私は姉に『音痴』と言われて小学生時代を過ごした。
姉と私は場所は違うが、ヤマハ音楽教室にエレクトーンを習いに行っていた。小学生ながら姉が隣の駅の教室まで通っていたのは、私と姉妹だと思われたくないから、と言っていた。
姉がそう言うのに、特に明確な理由は無かったと思う。私も、「姉」というのはそういうものだと思っていたのと、実際、体格が違いすぎるので言わなければパッと見ではそうと気付かれないことから、姉の希望を叶えるようにしていた。
教室では、エレクトーンコースであっても、歌の練習もあった。そういった習い事では、通えば劇的に上達するわけではなく、あくまで基本的な練習の仕方を教わることがメインであるため、家での練習も推奨する。
姉に常日頃から虐げられて育ったにも関わらず、私は基本的に素直で実直な子供だったので、教室の先生に言われた通り、家でエレクトーンも歌も練習していた。
エレクトーンに関しては、姉がいるときは使うか聞いてから、もしくはいない時に使ってよいものとされていた。
歌に関しては、居間以外の部屋でひとりで練習していた。
いつの頃からか、姉が私の歌の練習中に乱入するようになった。
「ちょっと!うるさい!」
「じゃあ、小さい声で練習するよ」
「そういう問題じゃない!この音痴!」
そのとき初めて、『自分が音痴』という認識を持った。
おわかりいただけるだろうか。
物心ついた時から、姉による恐怖政治の中で育った私は、姉の価値観が絶対だった。
しかもこの時はまだ10歳くらいだったので、姉への反発心なども存在しないために、この瞬間から『自分は音痴である』ことが自分自身の前提となった。
しかしながら、実はエレクトーンは結局10年くらい続けている。エレクトーンを弾くこと自体はとても好きだったと思う。
私も根が真面目だったので、その『音痴』認識から、エレクトーンを弾くうえで障害にならないか、どうしたら改善できるのかを考え始めた。
その時にひとつ考えられたのは、『音の記憶が間違っている』ことが音痴の原因だと思った。
小学生当時の私は、「確かに和音当ては得意じゃないな」と思いあたり、ひたすらエレクトーンで和音当ての練習をした。
和音当て、というのは、ヤマハ音楽教室のCMでよく子供たちがピアノの音の後に「ドミソ♪シファソ♪」などと歌っているやつを見ると思うのだが、あのピアノの音は単音3つ以上、つまり鍵盤の「ド」「ミ」「ソ」を3本の指で同時に押して鳴った音で、それを繰り返し耳で聴いて、口に出すことで音を覚える訓練だ。和音当ての練習といっても、姉は協力してくれないので、ひたすら自分で弾いて聴き慣れるしかなかった。
中学生になった時には、エレクトーンの発表会にも出るようになったが、部活との兼ね合いもあり、エレクトーンの練習時間があまりとれなくなっていた。しかし、「音痴ならば曲を聴きまくらなければ正しく弾けない」と思い、MDプレーヤーを買ってもらい、通学中に練習曲や発表曲を耳慣らしていた。
ついでに、姉が聴いている音楽ならば『正しい歌を歌っている人』なんだろうと思い、「歌が上手い人の音楽をMDに入れたい」と言ったら、姉は快諾して、DREAMS COME TRUE を貸してくれた。
夜に自転車で田舎道を移動することや、自主練として外を走ることも多かった中学生だったので、聴いたり、歌ったりしていた。特に、部活の先生は「小さな声でいいから楽しい歌を歌いながら走ると、肺活量が鍛えられる」と言っていたこともあり、一石二鳥だと思っていた。
とにかく真面目だった。
実際、今、自分が音痴かそうでないかは知らない。
たぶん、普通だ。
酷い音痴ならむしろちょっと面白いのにな、と思う。
このようにして、外で移動しながら歌うことにあまりにも慣れ過ぎてしまった。
そうして大人になっても変わらずなので、どんなに夜道を歩いてみても、おそらく私の方が気が狂っていると思われるのか、痴漢に遭わない。
大学生の頃は歌うだけに飽き足らず、マジで切れていたので、アスファルトで自転車のタイヤを切りつけながら、人の少ない川の上を渡るときに、物騒な言葉を叫んで猛スピードで移動していた。
ただ、やはり人に披露しようとは思えないし、それは恥ずかしい。
人前で歌うのは恥ずかしい。
やっぱり、『音痴』という認識が根付いてしまっているからだ。
兄弟間の恐怖政治というのは、ここまで人格に影響するのだから、注意したほうがいい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。