手を振る君を
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
今日はいちファンとしての気持ちの話です。気持ち悪いかもしれない。
実を言うと、押し殺してしまっていた。
本来ならここで書こうと思っていたことを、誤魔化して、曖昧なまま済ませようとしていた。
どうやら、ついにJOHNNYPARKのすがゆう氏が『東京を卒業』した。
※「どうやら」というのは、twitter観察からの情報なので、あくまでいちファンの私個人の見解としたいからではあるが、実際にその予定であったことは御本人から聞いているので、マジでヤバいファンではないことをここに誓いたい。
別に解散ではないし、今後も活動をしていくのには間違いが無いし、バンド自体の動きには関係が無い(休止とはなる)ので、ひとりの人間の『引っ越し』でしかない。
そう、完全に理解しているし、悲しむようなことはひとつも無いのだ。準備が整ったのと、タイミングと、都合に合わせた移動だ。
個人としては、当たり前だが、親しい友人というほどでもない。しかし、活動や顔を知っていて、実際に話をしたことがある、という点においては、『社内の人が遠方へ異動』という状況と似ている。
本当にそれなら、「あっ、お疲れ様です~」「お互い今後もがんばりましょう~」「また機会があったら遊びに来て下さいね~」などを、笑顔と会釈と軽い握手で交わすだろう。
実際、すがゆう氏がDJをつとめた『ERAっすか!?Returns』のあと、少しだけ言葉を交わせたのだが、基本的に自分の思うことを主張するよりどうスムーズにコミュニケーションをとるかしか頭に無いので、「あっ、お疲れ様です~」「お互い今後もがんばりましょう~」「また機会があったら遊びに来て下さいね~」と変わらないことしか言えなかった。ついでに言うと本名でさえ伝え忘れているし、flyingpaceshipとしての確認もしていない。それは言うまでもないと思っているが、リアルで確認をしていないのがまた不躾と感じている。
まともに挨拶できているようで肝心なところが抜けているのが、本当のコミュ障だと自負している。
というか、ただのファンとして、自分の存在を主張するよりその対象の人の話のほうが聴きたくない??自分のこととか本当にどうでもよくなってしまわない??挨拶そこそこに話をしてくれたら話を促すことしかしたくない。だからブログとかtwitterの監視が楽しいのだ。
しかし、今日まで誤魔化して押し殺してやりすごそうとしてしまったのは、私がJOHNNYPARKの『ファン』で『箱推し』であることで、どういう気持ちを書くべきか、もしくは書かないべきかも、整理できていなかったためだ。
ファンといっても、歴は非常に浅い上に、バンド音楽自体どころか、彼らの敬愛する『アニメ』にも疎い。
そもそもファンになったことが今まで無いため、いつの間にか生まれた自分のファンとしての振る舞いや気持ちに、理性と理解が追いついてない。
JOHNNYPARKの『箱推し』を自称する以上は、ひとりにフォーカスしてなにか言及するようなことはしたくない。
さらに完全に自分から乖離した第3者目線で、非常に冷たいことを言ってしまえば、「解散ではない」「すがゆう氏個人の移動」の上、「JOHNNYPARKのファン」であるのだから、「JOHNNYPARK自体のファンには何ら問題も関係も無い」のだ。
そう、なにも問題はない。
だからファンの私は、次のライブを楽しみに待つことが正しい姿勢だ。
それでも、えも言われぬ薄暗さが纏わりつく。
だからと言って、すがゆう氏にうしろめたい気持ちを持って欲しいわけではない。
「行ってごめんな…」なんて、そのようなことを思わせたいわけではない。そんなことを思わせてしまったら、真摯に謝罪したい。
何度も発生して申し訳ないが、気持ち悪い言い方をすると、私は彼らの人生を応援したいのだ。
バンド活動はその一部ではあるし、ファンとしてはそこがメインとなるが、彼らの人生が快適でないのに「バンドをやっていてくれ」なんて、言える??そんな鬼みたいなこと言える??
バンド活動を応援するならば、彼らの人としての日常の順風満帆をただただ願うべきだ。
ただ、私のなかだけに存在する、「なんか暗い気持ち」がわからないままだった。
相応しい言葉が見つからなくて何日も経ってしまった。
そこで、友人に話してみた。言語化できないとき、私はよく人に話してみることをする。
そこでわかった。『東京でJOHNNYPARK3人が、同じ空気を吸っていない』という実感が「さみしい」のだ。
友人は真顔で「ハハッ!それは…。気持ち悪いねぇ!!」と率直な感想を述べた。ハハッと言葉では笑っているのに真顔だったのが印象的だ。
ただ、これが『箱推し』としての気持ちだ、と理解した。
ただただ、もう同じ場所にはいない、ということがさみしさを生んでいたのだ。
友人曰く「『離れる』ということに関して、5歳児くらいのまま成長していないのでは」とのことだった。
それは確かにそうなのかもしれない。人との距離的な別れでは、取り返しのつかない失敗をしたこともあるし、基本的に悲しみ方がわからない。
ただ、すがゆう氏は『ERAっすか!?』の復活と『東京を卒業』という形をもって、我々に力強く手を振って離れた。
そうはいっても『いなくなっても全然平気!』とは言いたくない。
東京にいて欲しかった人がいなくなった、というのは間違いはない。
数年後、JOHNNYPARKは本格的に活動拠点を変えることになる。
その時にも、私はいつも通り仕事に行き、少ない食事を摂り、twitterを監視して、睡眠を摂るのには変わりないだろう。泣いて暮らすことにはならない。
ただ、ファンとして思っていることに、また適当に曖昧にしないではいたいと思った。
手を振る君を、本当は力強く頼もしく見送りたい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。