かばんについて
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
またしても友人のおかげでテーマ設定ができた。まだ『博打』と『原風景』が残っていたが、たくさん貰えたので書けるものからゆったり書いていこうと思う。
さて、ここ数日かなり盛り上がっている「女性のバッグ」だ。
まぁ、確かにそれなりに高価なブランドバッグを持っている女性というのは、それに見合った能力(後天的であったり、先天的であったり)は少なからずあるだろうとは、私も思う。
大学時代の同級生の女の子も、多くが高価なバッグを持っていた。ただ、まだ大学生の女の子が持つそれらは『贈り物』で得たものだ。ただ、その理由などを尋ねるとやはり先天的経済能力というものを突き付けられる。
卑しくも私がいちばん羨ましかったのは、『祖母からのおさがり』で持っているブランドバッグだ。
それは、家系を遡ってもずっと裕さを維持している証しでもあると思う。自分の祖母の時代で、そのブランドバッグが手に入る経済力、と考えると、その孫と言葉を交わしている自分を考えると格差以外のなにも感じられない。しかも、『おさがり』でありながら、傷みや古さを感じさせない。丁寧に使う、育ちの良さもわかる。
ただ、女性のすべてにブランドバッグを持つことを要求し、バッグのブランド情報だけで価値を決めるのはかなり『早とちりさん』だな、とは思う。
『美女と野獣』の野獣になった原因がそんなんじゃなかったかな?と思った。いつか心の美しい美女に出会えたら、そういう考えで人を見るのもいいかもしれないねとは思う。
ブランドひとつでも『祖母からのおさがり』と、日本の専門店で買ったもの、海外旅行の免税店で買ったもの、ネットで競り落としたもの、では違う物語が展開されるだろうに。
その高価なバッグを持っている理由が訊けるくらいまで、仲良くなってから勝手に価値を想像したらいいのに、もったいない、と思う。
そして、言わずもがな、私は高価なバッグは持ったことは無い。
家系も自分も、ブランドバッグに見合った『裕さ』は持ち合わせていないからだ。
18歳以降、大学入学時に買った就活スーツも、成人式の洋服も、喪服も、私は自分の経済力に見合ったものをその時必要な機能に見合ったものでしか手に入れたことは無い。それらを親から与えられていたら、楽だったかもしれないけれど、おかげでとても現実的になれた。ただ、親や祖父母から与えられている同級生を見ると、やはり羨ましさと自分の卑しさに歯を軋ませてしまっていた。まぁ、当然ではあるので、素直な感情だ。
いまだって、もちろん、ブランドに憧れくらいある。いくら、金のかからなそうな女、と言うひとつの評価があったって、憧れくらい持ったっていいじゃないか。
仮想でも、経済力が見合えば、それに伴って消費して経済を回してやるために、憧れに手を伸ばしてもいい。
今はブランドと呼べるようなカバンは持っていないが、基本的に服が好きなのでそれに伴ってある程度カバンは数種類ある。
いちばん使っているのは、「黒の革バッグ」と「黒いナイロンリュック」と「シルバーのA4バッグ」、「シルバーのミニバッグ」だ。
なぜか4年くらい前からメタリックなシルバーのバッグにはまり、「シルバーのA4バッグ」は二代目だ。1個は持っておきたい。
メタリックなシルバーが好きな理由を考えてみたが、おそらく、25歳も過ぎてアクセサリーひとつ着けられない(皮膚のせいだ)自分がつまらないからだ。
ただ、今年の春夏は結構メタリック系バッグ、特にシルバーは流行っているようだ。可愛い女の子の多くが持ち始めると、ブサイクとしてはなんだか後ろめたさが生まれてしまう。
しかし、その分、いままでラインナップが少なかったメタリック系バッグも豊富に展開されるようになったので、やはり目を引く。
次はゴールドもいいかもしれない…。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。