加齢について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
野菜は切ったとこから酸化するから一回で使い切りたい。
人間も同じだ。
母親とつながっていた臍の緒が切られたあの瞬間から、加齢が始まる。瑞々しい細胞がはじけて増えてを繰り返す時期は『成長』と区別される。
加齢は、『加齢』と実感した時には既に始まりではなく、加齢の成熟期となっていると思う。
だから、意識が向いた時から準備が必要だ。加齢の手本はそこかしこにあるのだから、そう『成る』のならば、より快適に過ごすために、できる準備だ。
私は皮膚の手入れに意識が向いた時から、未来を想像していた。
持病のアトピーもあり、きっとほかの同年代の人間よりも早く、皮膚の『加齢』による『酸化』は顕になると思った。
未来を具体的に想像して、肌の手入れをするのは、確かに煩わしいことではあるが、苦ではない。必要だとわかるからだ。
「歳をとったな〜」と笑顔で言える人は、きっと未来の自分を想像しても笑顔で朗らかに言えるのだと思う。
加齢は時間と同じだ。みんな平等に訪れる。変化と成長がある。だから、準備をしている。
私は、見た目の変化について目が行きやすいのだが、10代の頃の自分と比べると今の方が『小綺麗』だから、歳若い時期の自分の方が良いとは言わない。
いくら女子高生でも、アトピー治りかけの肌で、髪型は桜木花道だなんて、どこにも10代の女性の良さが無い。『小綺麗』にする手段を知らなかった。無知とは本当に哀れで恐ろしいものだ。
加齢は生まれたときからしている。
今更、歳をとった、なんて感じるのは準備不足でしかない。
わかりきったことだ。
バック転はもうできないかもしれない。
身体は生もので、新鮮なうちしか、しなやかではない。
でも、できないかもしれないことを生まれたときからやってきた。
せっかく加齢しているのだから、その変化も見たいし体験したい。バック転ができなくなっていたら、それは身体のどこが動かなくなったのか、恐怖心が邪魔をするのか、なにが変わったのか、知りたい。
バック転の練習ができたら、また、書きたいテーマだ。
私は今は、『加齢』は時間と同じとしか見てないが、また、なにか変わるかもしれない。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。