ビニール傘について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
成人してからの記憶では、ビニール傘を買ったことはない。
そう言うと驚かれることが多いが、私は「えっ。みんなそんなに、急な雨に遭うの」というのと、「ビニール傘って欲しいか?」と思う。
確かに、雨が降ったら大抵の商店は、店の前に『とりあえず』ビニール傘の売場を引っ張り出すものだ。
『とりあえず』の応急処置みたいな気持ちで、ビニール傘を買う人は多い。
ビニール傘の出費は安いものでは100〜500円程度だ。100〜500円で雨に濡れない快適さを得ているのだろう。
私は基本何事にも準備不足、調査不足、行き当たりばったりな割とカイジ寄りの矮小な日常を送っているので、予定外の雨天に遭うこともある。ゼロではない。
それでも、買ったことはない。
『ビニール傘』を『欲しい』と思わないからだ。
急な雨に遭うときというのは、大抵降り始めの弱い雨が多い。
普通に降られたとしても、本気で走れば10分程度だ。
それらの濡れ方なら、構わない雑な性格だ。書類などはカバンの中だし、自分よりなにより、カバンが濡れないように走る。
たぶん『ケチ』と言われるのかもしれない。
私としては『欲望』に沿わない出費はしたくない。それだけだ。
『欲しい傘』がたまたまビニール傘だったら買っているかもしれない。もしくは、急な雨が降ったとき『欲しい傘』が売っていれば買うかもしれない。
でも、急な雨が降ったときは大抵深夜で、傘が手に入るのはコンビニだ。欲しい傘が売ってそうな店は、そのタイミングではすでに営業終了している。
そして、間に合わせで買ったビニール傘であっても、私だったら盗まれたらいい気持ちはしない。
しかし、「盗まれてもいいし」とか「盗まれるもの」というエピソード認識が、ビニール傘には常に纏わり付いている。
私は対象がなんであれ、『人が人のものを当然のように盗む』という認識が、なにより嫌だ。
誰もが盗人なのかい?
それを持ち歩く、それを家に置くことが嫌だ。
欲しくないのに、自分の手元にあり、誰も『特別欲しいもの』でないのに、盗む行為を当たり前にしているビニール傘に纏わり付く文化そのものが嫌いなのかもしれない。明らかに窃盗なのに、犯罪行為という認識が無いというところも嫌だ。
そういう理由で、自宅の駐輪場に停めていた自転車を盗まれて以来、自転車も新たに買おうとしていない。
「人が人のものを盗む」というエピソードを、改めて目の前に突きつけられるのが嫌なのだ。そういう人間がいる、というのをわざわざ意識しなければいけないのが嫌だ。
とにかく、欲しいものにしか対価を払いたくないし、誰にでも気軽に盗まれるとわかっているものをわざわざ手元に置きたくない。
この性質は『ケチ』なのだろうか?
ビニール傘ひとつで人を盗人呼ばわりするほうが、狭量なのだろうか?
この自己嫌悪に近い悩みが発生するので、いつも買わない。走ったほうが気持ちがいいし。
ちなみに折りたたみ傘は、上手に畳めないので持ち歩かない。ノベルティかなにかで貰った折りたたみ傘1つ(使ってない)と、晴雨兼用の傘は『好き』なので2本あるが1本はそろそろ引退だ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。