宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

風になるから

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

今回もまた、twitterにて「ネタが無い」と弱気になったときにお友達から頂いたお題の中から書いています。お題としては『のりもの』です。

 

察しの良い方は、タイトルとテーマでご理解いただいたかと思う。

そう、自転車だ。

 

盗難にビビるあまり、今現在は自転車は持っていないが、もともと、私の移動手段のメインは自転車だった。

 

中学生の時、部活で隣の学校に毎日通っていた。高校生では自宅から駅までの間と、わりと平均的な使用頻度だった。

大学生になって一人暮らしを始めてからは、自宅から学校まで自転車で通った。

ただ、同じ最寄り駅に住んでいる同級生は電車で通っていた。

 

当時は電車が嫌いなわけではなく、自転車が特別好きだったわけではない。

定期代を惜しんだだけだ。

雨の日は必ず電車で向かっていたが、就活をするまでの雨が多い6月の1ヶ月以外は定期を買っていなかった。

毎日40分、自転車で通っていた。電車なら、歩きを含めても20分かからない距離だ。

 

しかも、その道の途中にバイト先があったため、朝、バイトに行き、学校に行き、夜またバイトをする日も多かった。

今考えるとゾッとする。そんな生活は嫌だ。

 

学校で、周りは同級生ばかりなのに、心を開いて会話する友人もなく、キャンパスライフを無言で過ごす、未来が見えない日々を過ごしていた。『仕事・無言・仕事』という、自由な自分でのコミュニケーションは無いと言ってもいい。

少し、おかしくなっていたのかもしれない。

 

自転車に乗っている時間だけが、自由を感じられた。

 

学生の頃は、今より実家に行っていたのだが、よく自転車で行った。

距離は20km近く離れている。

当時はスマートフォンは無く、Googleマップはパソコンで眺めるものだった。電車から見える道を頼りに、自転車で実家を行き来していた。

 

ある時は、自転車に不調があり、父に直してもらおうと思い、その不調の自転車に乗って向かっていた。それは、完全にイカれていたのは私の方だと思う。

しかし、父はそれを注意せず、不調部分を直して、「じゃ、がんばれよ」と自転車で20km先まで帰る娘を見送っていた。

いや、車を出してやれよ。自転車、車に乗せてただろ。

 

またある時は、終電も終わった夜、アルバイト先の仲間との飲み会の途中で、高校からの狂った友人ふたりから電話があった。

15km先の駅で飲んでる、とのことだった。私も楽しい飲み会で、やや気持ちが浮き足立っていた。

「おっけー(^ω^)」と電話で言い、深夜1時過ぎを自転車で15km走って向かった。

到着したら、友人ふたりは完全に酔いが醒めて、ドン引きしていた。

友人「いや、来るなよ…」

私「来ちゃった(^ω^)」

朝方、自転車でまた15km走った。

 

自転車自体に特にこだわりもなかった(イオンで買った)し、ちょっとした不調くらいだったら自分で直していた。

自分さえしっかりしていれば、時間通りに到着するし、転んでも受け身をとれば大怪我にはならないところ(断言はしない)が自転車の利点だった。

 

自転車が好きだ、というより、自転車に乗っている時間が好きだったのだ。

全身で風を受けて、スピードは自分の采配だ。登り坂は肺活量を鍛えるために、歌いながら自転車を漕いだ。

なんの為に鍛えていたのか、ときくのは愚問だ。なにしろ、相手は気がおかしくなりかけていた人間(大学生の私)なのだから。

 

このように、独りの大学生活は、全身で独りを楽しんで、率先して独りでいたとも言える。

でも、大丈夫。3年生の冬には、ふたり、友達ができたのだ。

日本の大学生で、独りが辛くて大学中退する人に、本当に言いたい。

3年の冬までは出来なくても大丈夫だから、すぐ辞めないでみて欲しい。

4年間ずっと友達ができずにいた、という人がいたら、その人は強い生命体だ。社会に出たらおおいに活躍して欲しい。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。