視線の先について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
今回ははてなブログのお題スロットを開いたら、ちょうどいいのが出てきた。
『根暗』『ネガティブ』『人見知り』の3種の短所を兼ね備えたflyingspaceshipだが、人と話をするとき、顔を見て話す。
だが、目を見るのは恥ずかしい。
顔を見ていれば、目を見ていないとは思われにくい。
顔を見て話していれば、コミュニケーション上、特に不都合は無い。しかし、最近気付いたのだが、他人の顔を容赦なく無遠慮に見ているわりに、顔を覚えられていないのだ。
見ているときは、顔の特徴を覚えようと思って見ているので、不躾は承知ながら、顔全体を線でなぞりながら見ている。
しかし、目を見ていないため、その人固有の、雰囲気や印象を受け止めきれていないのかもしれないと思う。
そのため、人に人の印象を伝えるとき、印象の良かった人のことはほぼ全て「なんかかわいかった」としか言っていない。
ただ、言っておきたいのは、目を見て話せないから、渋々顔を見てお茶を濁しているわけではない。
みんなの顔がかわいいから見てる。
かわいいから見たい。
相手の目を見てしまうと、途端に自分も見られているという自覚が生まれてしまって、
「そんなかわいい顔でこんな顔見ないで!」
と発狂しそうになるのだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。