考えるほど
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
承認欲求を満たしたい。
しかし、人前に顔を出すのは嫌だし、このブログがなにかの間違いで大量に拡散されるような事があったら、恐怖しかないし、今後書きにくくなる。とりあえず更新は止めると思う。
『承認欲求を満たす』というのは、誰かに自分のなにかを褒められて嬉しかったり、誰かが自分のためになにかをしてくれることなのではないか、となると、自分の喜びはなにか、ということになる。
私はなにを喜び、嬉しいと感じるのか。
また、それは私の発信から誰かにしてもらえるものなのか。
具体的に考えようとすればするほど、よくわからなくなってくる。
拡散され過ぎると恐怖だが、自分の知っている人や数人の人から、このブログにスターを貰えるのは嬉しい。Twitterにあげている絵についても同じだ。
ネットが無いと承認欲求が満たされないのか?
現実では?
大人になったら、現実の、実生活で満たされる承認欲求とはなんだ?
※当然、仕事は仕事なので除外だ。
実生活の私は、はっきり言って、良くて無害無味無臭のただの生きてる30歳だ。
『あなたがそこで生きていてくれて、イイネ!』なんて言葉をくれる人なんているのだろうか。
インターネットがなかったら、承認欲求はどこに向かっていったのだろう。
それこそ美男美女はテレビや雑誌モデル等々あったが、無害無味無臭の顔の造形には言及しづらいことが唯一の特徴という奴はどこに向かっていったらいいのだ。
それを考えると、やはりインターネットは人類を救った、もしくは、最終地点に追い詰めたとも思える。
救済であり、破壊でもある。
とりあえず、私はTwitterに『イイネ』がついたら、『あなたがそこで生きていてくれて、イイネ!』だと受け止めていく。健康法のひとつとして。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。