もったいないのデリケートさ
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
日本語での『もったいない』は、一般的には美徳だと思う。
でも、使い方によってはかなりデリケートな言葉だ。
こう考えるのは、時間や質量は人に平等に提示されるが、それぞれの価値観は完全に『人による』からだ。
私が家族に言われていた『もったいない』は、自分にこびりついている。
・金にならない絵をかいている時間もったいなくない?
だ。
もったいない。と私も口の中でつぶやいてみる。
それは、時間という誰にも平等に与えられた、限られたものを消費してまでやるには、あまりにも見合っていない。もしくは、ドブに捨てているのと同義、と、言われている。
例えとしては、実際に言われたかどうかは別として、以下もよく耳にする。
・アニメ(・漫画・ゲーム)観てる時間もったいなくない?
・そんな化粧品にお金払うのもったいなくない?
うるせぇ〜〜〜〜〜〜〜!
お前は俺じゃねぇし、俺もお前じゃねぇんだよ!
誰も他者にはなれないのは明白なのに他者の価値観に客観的な数値あてて上から目線で説教してるほうがよっぽど愚かしいわボケーーーーー
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。