冷静について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
青臭いといわれるかもしれないし、そんなものがあるからすぐストレスでアトピーが悪化するんだと言われるかもしれないが、割と真面目に仕事に関しては夢がある。
イケイケ信仰企業の『顔晴る』とか『志事』とかそういう見られ方をされるかもしれない。そういうのは苦手だ。
粛々と、生活費を稼ぐためだけに毎日労働すればそれでいいのかもしれない。
でも、せっかく一日の大半をそれに従事しているのなら、その先の目的くらい持ちたい。それが人間らしい感情でもあると思う。
珍しく、友人に仕事の夢みたいな話をしてみたら、
「冷静に考えているんだね」
と言われて、私はちょっと嬉しかった。
「お、この理想は冷静な私なんだね?」
「ん?うん、てゆか、大体あなたは冷静だよね」
えっ?私って冷静だったの?
私は、自分はいつも興奮気味だとまわりに思われているのだと思っていたし、そうなのだと思っていた。
当の友人も、私によく『落ち着け』と諭す。
「いや、考え方は冷静だよ」と友人は言う。
さらに、考え方は冷静というか、感情を排除しがちで、興奮状態で物事を考えていないとのことだ。むしろ、感情を踏まえて考えることを拒否している節があるように見えるらしい。
世の中のシステムや段取りとかでは、人間らしい感情というか、余剰がないと、成り立たないところがある。
それはわかる。だから、そこに感情というより『情緒』が入るのは良い、むしろそれが正常だと思う。
私が感情を入れないほうがいいと思うのは、『ルール』や『秩序』だったり、『禁止事項』についてだ。
人間が動くなかでのシステムに『余剰』、簡単にいうと『あそび』を持たせると、そこから逸脱する人間もいる。それが人間らしいところだからだ。
だからこそ、どこかで無感情な事項を取り入れて一度冷静な判断を下さなくてはならない。
私がよくそれで憤りを露わにさせながら、感情を無視した論理を展開しているのは、その逸脱した奴が目についてしまった時だと思う。
システムから逸脱した奴には、躊躇いなく、頭部に向けて金属バットをフルスイングできることが理想と思っているのかもしれない。
それは非常に冷静な考え方なのだ。
しかし、周囲からすると、かける言葉は『落ち着け』の一言なのだ。興奮していないとは分かっていても、落ち着かなければいけないというのも、また複雑だ。
日本語って難しい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。