働かない私の思い出
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
数年前に利き手の骨を折って、7日間くらい仕事を休んで、実家に3日くらいいたことがある。
ひじの骨だけピンポイントで折れたので、手術で2日くらい入院したらある程度はようになったが、縫合跡が残った。そのため、風呂などが1人では難しく、3日間くらい実家で世話をしてもらったのだ。
私が一人暮らしを始めてから、実家には私の寝る場所が無いので、泊まったのはその時が最後だ。
確か、廊下とかに客用の布団を敷いた気がする。
その時、日中なにをしたらいいかさっぱりわからなかった。
実家の周りは何も無い。
住宅地ではあるし、コンビニはあるが、基本的になにも無い。
私が一人暮らしを始めた街に比べたら、ゼロだ。
夏の盛りだった。
利き手が動かしにくかったため、趣味のお絵かきもできない。この時体験して初めて知ったのだが、ひじの骨が折れても動かすことはできるが、指先にうまく力が入らないのだ。神経が通っている実感がした。
あまりにも暇だし、なにも無いし、家族といても楽しい年齢でも無い。
しかし、ただじっとしているだけなのに、実家は容赦なく1日3食出てくる。有り難いことだ。
働いてないのに1日3食だ。働いてる日でも1日2食が限度だ。
これを見て思った。
私が実家クズニートだったら、確実にただのデブになっていた。
姉を見て、それがより鮮明にイメージできた。クズかどうかは知らないが、姉は実家ニートだ。
ゾッとしたので、私は持て余した飯の時間と飯の時間あいだだけでも、体を動かそうと決意した。
隣の街まで畑から畑、国道から側道を渡り、ひたすら歩いていた。
利き手のひじに大仰な包帯を巻いた奴が、1時間弱、炎天下の中カバンも持たずに歩いていた。
ポケットには携帯とカード類だけ持っていた。
途中で自分が脱水していることに気づいたが、畑と国道の間にコンビニは見えない。
死ぬのでは?と思った。
記憶しているコンビニまでは、あと少しだ、と思ったところで、ふと、別の思想が生まれた。
働いてないのに、コンビニで水買うの??
そうは言っても、当初の目的は隣街のスターバックスコーヒーに行くことだった。とりあえず目標地点を決めてはいたし、コンビニで水を買うよりも贅沢だ。
それも脱水症状だったのかもしれない。
フラフラになりながら、コンビニをスルーした。
完全にバカだが、私のその当時の本質が『それ』だったのだろうと思う。
働いていないとバカになる。
今でも、休日ひとりでいると、働いてないのに○○するの?と自分が自分に聞いてくることがある。
そのたびに、「いや、明日から○○だし」とか「昨日まで○○だったし」と、なにかと理由を付けてからでないと、休日を満喫できない。
だから、なるべく休みの日は人に会った方がいいのだ。
少なくとも食事はすることが確定するからだ。
別に、働くべきだとか、働かないべきだとか、とは振り切ってない。
楽しかったら働くし、楽しかったら働かないだけのはずだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。