夢見がちだから
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
flyingspaceshipは、お年頃である。
1987年生まれ。倖田來未的に言うならば、ばっちり○○は●り始めているだろう。
そういった身体的なリミットも踏まえ、人生のなかで環境の変化を自ら起こすかどうか、というのも、特に同性同士では度々話題になる。
端的に言えば、
『結婚したいですか?』
『孤独死ですか?』
の2択を提示されるのだ。
わかんないよ、そんなの。
しかし、そんな答えは甘えなのだ。
それを決定して行動するのは『今でしょ!?』と『今しないでいつするの!?』と世間の要求する回答スピードは、常に今今今今今今今、今なのだ。
わかんないよ、などと素直に言えば、勝手に『じゃあ孤独死ですねっ☆』と決定されてしまう。地獄の沙汰なの?
回答の保留も考える余地も与えられず、それが嫌なら『今もっと頑張りなさい』と叱られる。
今、順当に人生の駒を進めて、孤独死以外のルートに向けたチェック項目が、しっかりと埋まっている同年代もたくさんいる。頑張って、結果を出している人はいるのだ。
そんな人に、なぜそれが出来るのか、を聞いてみた。
すると、「考えてみてください」と、まるで何も考えてないからお前は『そう』なんだとでも言いたげな、一言から始まる。
考えてみてください。独りで頑張って老後のために働いても年金は貰えないかもしれない、払うほうが大きくなっていくばかりで、なにも残らないかもしれない。だったら、しっかりしたパートナーを見つけて、将来のために協力して、家族に看取られて死ねるようにしたくないですか?独りで死んで、数日後、異臭で気付かれる、なんてことは嫌じゃないですか?
今の自分にとって、『嫌』な老後や死を選ばないため。
それを考えたら、「結婚したい」と思える。
らしい。と思った。flyingspaceshipであった。
なぜこんなにも、私は愚考なのだろうか。
死や老後の行き方が、結婚という制度と相まって、現実的に結び付けられない。シナプスが信号を送らない。神経伝達信号が生まれない。脳髄に同じワードが届かない。
たぶん、これが、将来を『現実的に、真剣に考えていない』、その日暮らしの姿なのかもしれない。
結婚、したくない、とは言えない。
幸せに営んでいる人々も見るし、したい、と言える人がいるということは、それまでに経験したことのない良いことがたくさんあるだろう。
結婚したいと思う相手がいれば、したくなるだろう。
ただ、結婚が、孤独な死を招かない、悲しい死を迎えない理由になるともとても思えない。
結婚しても、してなくても、望んでも、望まなくても、人間は死ぬときはひとりで死ねてしまうだろう。誰のせいにも出来ず、勝手に来るんだから。
そんな自由意志ではどうにも出来ないことを、ある程度自由意思で決められる結婚が、どうにかしてくれるとは思えない。というか、現実的に考えてはいるけど、結びつかないのだ。
私はただ、今、不幸ではないし幸せでもないだけだ。
だから、信頼できる他人がいたらいいな、くらいの思いしかない。
結婚をしたいと思えるような、思ってもらえるような、信頼しあえる他人と寄り添いたいとは思う。そこから結婚するかどうかは、協議の結果だろう。
現実的に考えられないのは、どこか結婚に、夢見ているからだ。
夢見がち30歳でいさせてくれ。自分の死の保険のための、現実的な結婚は、まだ目指さない。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。