変顔について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
『変顔』や『顔芸』はしない。
なぜなら、恥ずかしいと思っているからだ。
『変顔』や『顔芸』でウケを取ろうとする、ということは、まず「私の顔に注目してください」という前提がある。
自分の顔が好きではないし、少なくとも一般的に美しい部類では無い。そんなものに、「注目しろ」という気持ちには、とてもなれない。
その上、あえて、変形させている姿を見せるなんてことには、引け目を感じて不可能だ。
なんだったら『笑顔』も、特段美しい笑顔では無いので、「景観」の部類では良くは無いと思っている。
ただ、『敵意が無い』ことだけは伝えられるので、その意味をもって、あえて向けていることはある。
私には、主観的に見ても、『変顔』『顔芸』は分不相応なのだ。
顔についてのコンプレックスを、はっきりと持っている人は、わりと『変顔』や『顔芸』に対して引け目を感じているのではないだろうか。
周りを眺めていても思うのは、男女問わず、美人ほどカジュアルに『変顔』『顔芸』をする。
多少崩したところで、見れないほどの顔にはならないし、誰にも酷く言われたことがないからだろう。
顔についてのトラウマがほぼゼロであればできる。
仕事場の、ハーフ風の美人は、考え事をしながら人差し指で鼻を思い切り、上に向かって潰して、鼻にしわを寄せていた。私は驚いて、「なぜそんなことを…???」と動揺していたら、「癖なんです。でも、注意されたことなかったので」とサラリと答えた。鼻を豚にしても、美人は美人だからだろうか。
と言うと、「自分のこと美人だと思ってないし悪口も言われたけど、変顔しますよ」と言う人もいるだろう。
そういうタイプは、顔以上の性格の評価や人望があるタイプなのだ。
『変顔』で場の空気を見事、自分のものにした成功体験があるのだろう。
『変顔』をしてみて、笑われて蔑まれて終わるやつもいる。
『変顔』をしないからといって、無表情でスカした奴なわけではない。
私の場合は、それなりに表情もあるし、顔の元々の造りのせいか豊かな表情はコミカルだ。
ただ、自分の自然な表情、作った表情、どちらも写真や鏡で一瞬を切り取って見ると、どこかぎこちなく見えるのだ。
笑顔以外が「下手」なのだ。
したがって、現代の「いつでもなんでも自撮り」の文化には、完全についていけない。
笑顔も好きではないし、他の表情も下手、となると、意識して顔をコントロールすることができない。自撮りのシャッターチャンスは作れない。
最近の若い女性には、感心させられる。
そこらへんの女子中高生も、3・2・1のタイミングで、パッとモデル風の表情を作れる。
なんの変哲も無い駅ビルのエスカレーターに乗りながらでも、なんてことないタイミングで撮っている姿を見て驚いた。
変顔も撮っていた。
表情を自由自在にできるひとは、きっと生きてきた時間に愛が溢れているのだ。
自撮りが当たり前の世代は、きっとお互いの豊かな表情を認め合い、人の気持ちへの感受性を高めていける人間が多いと思う。
良いことだと思う。
この文化は続いていってもいいと思う。
だから、「SNSで特定」からの悲しいことは、起こされることが無いようになってほしい。
世界に向かって、なんでもない彼ら彼女らの笑顔が発信されていけばいい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。