宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

きっかけについて

お題「ブログをはじめたきっかけ」

 

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

内容を毎日考えるのも、地味ながら、なかなか大変になってきた。

そんな時は、友人からもらったお題と『お題スロット』だ。

 

ブログを始めたきっかけは、前にも書いたかもしれないが、私が勝手に応援しているバンド『JOHNNYPARK』だ。

JOHNNYPARK カテゴリーの記事一覧 - 宇宙船と砂漠で足跡

 

 

『なにかのファンになる』ことが生まれて初めてのflyingspaceshipは、どうすればいいかわからなかったのだ。

 

なにかのファンになるということは、公式からの情報や発表、演出を待つことになる。そして、それらの供給があればそれに食らいつく。

 

私は、その姿をあまりカッコいいと思えないのだ。

 

いや、別に『ファン』というものを、カッコイイとかカッコ悪いとかで分別するものでも無いとは判っている。

すでになにかの『ファン』として色々追いかけている人のことを、その情熱は見習わなければと思うくらいで、「カッコ悪い」と蔑むつもりは無い。

 

自分がそれになった姿が、カッコ悪いと思ったのだ。

言ってしまえば、特に才も能も無く、生み出す力も惹きつける力も無いくせに、供給だけを、ただ待ち、ただ乞うのは、私がやったらまさに乞食スタイルだ。

というか、誰かに何かを期待したり要求するなら、自分もそれなりにならなければならないのでは無いか、と思うのだ。才も能も発表も無いからこそだ。

 

このまま、ただ生きているだけでいいのか?という、生命の根本の問いにまで発展した。

こわい。

 

しかし、私は冷静だ。

同担拒否過激派ファンとかでは、無い。いわゆる箱推しなので、担当とかも無い。

 

マジで情熱だけで血流を促しているタイプの過激派フーリガンであれば、きっとこの160件ほどのブログのテーマはすべてJOHNNYPARKだったかもしれない。こわすぎて、逆に読んでみたい。だれか書いてないですかね。

 

というか、真面目に言って、たくさん書けるほどJOHNNYPARKのことを知っているわけでも無い。半年か、そろそろ1年程度のファン歴なので、その前のJOHNNYPARKのことは、ネット上に残っているものまでしか、知らない。

 

それに、音楽的観点からも、アニメオタク的観点からも、彼らを語れるほどの知識が無い。

ただJOHNNYPARKの曲とライブと演出とコンセプト、それらが好きなだけなので、表面的と言えばそうかもしれない。

深掘りして各個人を見れば、それぞれの人間としての魅力は、当然ある。

しかし、私は各個人を勝手に訳知り顔で分析して公にするような、そういう暴力に近いことはしたくない。そういうのは、反吐が出せるかもしれない。(でも出せないと思う。)

彼らが作り上げた、JOHNNYPARKという存在を尊重したい。

そのため、私は実際に彼ら個々人と会話する機会がある時は、なんとなく、JOHNNYPARKの人、というよりは、「○○さん」という成人、として切り離している。

正体はお互い分かっているけれど、その時とは別、という感じだ。

 

…例えがとても古い上に悪いが、『セーラームーン』のタキシード仮面が、セーラームーンといる時と月野うさぎといる時で、呼び方も態度も微妙に違うのと一緒だ。私はタキシード仮面だ。

 

かなり話が逸れたが、つまりは、JOHNNYPARKのことはそこまで知らない、けれども、ただ彼らの活動の結果だけを貪り食うような真似は、自分の感性としてはカッコ悪いと思ったのだ。

 

それに、JOHNNYPARKのファンを名乗るなら、ただ生きてるゾンビみたいな奴よりは、当然めちゃくちゃイケメンとか美人とか石油王とかのほうが、より良いと言えばより良い。広報的に良い。

それらになれないのであれば、ある程度、せめて自分だけでもカッコ悪くないファンでいたかった。自己満足だが、自己を満足させることもできなくて、誰かになにかをできるとは思わない。

 

JOHNNYPARKという存在の仕様上、そう頻繁に公式供給をすることは出来ないのは理解している。

それだけ大変なのだから、自分の毎日溢れるなにかをちゃんと言葉にして、ぬるま湯と言えインターネッツ上に公開する小さな活動をしながら、待とうと思う。

 

そのなかに、こうして時々、情熱を発散したり、まとめたりしているのだ。

これがファンとして未熟な私の、ファン活動なのだ。

 

なかなかに、気持ち悪がられそうな文章にまとまって戦慄している。

 

こういう話は、家に帰って落ち着いてキーを叩きたかったから、かなりしばらくの間寝かしていたのだが、やはり、書こうと思えることはスラスラ出てくるからすごい。

 

クレームは受け付けます。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。