悔しさについて
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
「悔しい」という気持ちを、はっきりと自覚したことはあまりない気がする。
結果が全てだからだ。
試合に負けても、試験のケアレスミスも、仕事でミスを指摘されても、「悔しい」よりも、ここまでが今の自分の出来ることだったんだな、という気持ちにしかならなかった。
「悔しい」から次に生かす、というより、次はよい結果を得るために、対策をしよう、という考えはできる。
なにごとも、次があったのだ。
一度きりしかないなにか、命を懸けたなにか、というものに出会うこと自体、平々凡々の人生では稀だ。
それなりによくよく思い返しての「後悔」はあるが、「悔しい」という切なる気持ちはない。
ただ、先日、強く、「悔しい!」と思ったことがある。
高校の同級生2人と3人で会ったときだ。
私以外の2人は、一児の母となっている。ひとりは、生まれたての我が子を抱えて会ってくれた。
くだらない話しかしたことない3人だったので、変わらずくだらない話しかしてなかった。インターネット回線の繋がるときの音の物真似とか。
すると新生児を抱えた1人が耐えかねて、「なんか30歳の女みたいなこと言ってよ」と言い出した。
私は「いや、これがリアルな30歳の女の会話だから。うちの会社でもみんなこうだよ」と嘯いた。
もう1人はリクエスト通り、髪の毛が乾燥する、という話をした。
なんだ、それなら私の得意な話題じゃないか、と思ったが、すぐに口出しするのも知識をひけらかすようでカッコ悪いなと思い、ひとまず黙った。
すると、
「○○いいよ!安いし」
「そうなんだ使ってみようかな」
という雛形のような会話になった。
あー、これが、友達にすすめられて〜って、正しい使い方や対策も知らずにものが消費される光景か〜。
と、呆然と眺めた。
私がめちゃくちゃ美人で、せめて外見だけでもすべてがパーフェクトだったら、きっと一言でこの2人の会話をひっくり返せたのではないだろうか。
私がすすめたものは、「高いじゃん」の一言で一蹴された。
私がパーフェクトな装甲をしていたら、それも納得してもらえただろうか。
自分の外見がパーフェクトでないことが、とても悔しかった。
イケメンだったら、きっと、この場面はなにもかも違っていたのでは、とも思った。
そしてまた、イケメンになりたいと願った。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。