宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

人類について

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

ここ最近、ブログを始めた友人の文章ばかりしつこく読んでいる。

その前は、JOHNNYPARKのメンバーの古いブログを漁っていた。

 

以前ここでも書いたが、私も改めて友人の考えを持って、考えてみた。

何のために生きているか。それは子孫を残すためだと、私はわりと真面目に思っている。

 

確かに、私だってひとつのこの国に生まれ、税金を払うだけでなく、不満ばかり思ったとしても、恩恵を受けているという事実もゼロではない。

自由とか権利とかそういう細かい話を抜きにすれば、小さな島国で、ほぼ単一民族で、これからの未来もこの国と民族を存続させていく担い手という点では、義務とまではいかないが、 責任を被る立場ではある。

国家と言うものは発展するには、ベースとして、恒常性の維持が必須である。その中で、人間の数、というのはわかりやすくその運営にかかるのだ。

 

だから、私が少しくらい『子孫を残す』ということを前向きに検討しても、悪いことではないのだ。

 

まずは第一ステップとして、私は誰かを好きにならなければならない。

しかし、そこで考えてしまう。他人の迷惑というやつを。

私に好かれて、相手は迷惑ではないだろうか。さらに、その相手のことは別の女性も好いているかもしれない。更に、その女性のほうが若ければ、より新鮮な卵と身体のほうが、より良い未来への創造の確率は私より高い、と私は認識する。また、その女性のほうが、身長が高い確率も多いにある。私の身体測定の数値は、メンデルの遺伝子学によると劣性になる。比較しての『小』は、それがどの部分であろうと遺伝子的には『劣性』だと習ったと思う。果たして、より良い未来と国家の恒常性維持にかかる、子孫を残すべき遺伝子の条件が、私にあるのか、甚だ疑問となる。

 

残さなくてもいい遺伝子もあるんだぞ。

 

という、何かのギャグ漫画で見た台詞が頭を過ぎる。

 

私はネガティブな気持ちになって、これを考えたわけではない。

ただただ、冷静に、自分という事実と客観的に向き合った結果なのだ。

 

最近、よくよく考えてみたら好きな人ができたかもしれない、と思ったが、さらによくよく考えてみて上記の結果が出されたので、なにもしないことにした。

国家の恒常性も大事だが、未来の創造にあまり貢献できないのなら、今生きている私の精神状態の恒常性のほうが大事かもしれない。

 

取捨選択で、『捨』のほうになる可能性のほうが大きい。それに気付いた時、どれほど傷付くか、わかっているから怖いのだ。

 

でも、好きな人がたくさんいるなかで、より目立って好きかもしれない人は、大事にしていけるから良い。それで良いのだ。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。