曇の日について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書き置きスタイルでお送りしています。
天気の話を昨日書いていて、天気に合わせて思い出す『雰囲気記憶』があることに気付いた。
1987年度生まれは、ゆとり第一世代だ。
「僕らの世代は『ゆとり』では無いですよね?」と同い年の電気屋の店員に言われたことがあるが、私は「いいえ、第一世代ですよ」とその姿勢を強固に示した。
どうせ、上の世代からみたらいつだって下の世代は能天気な有象無象に見えるものなのだから、『ゆとり』という固有名詞が行政として浸透させたのもあり、事前に申告できるほうが有り難い。
「舐められたほうが楽」という考えは私の悪いところであるが、一見、穏やかに見えるという長所でもある。
そのゆとり第一世代は、小学校当時、土曜日が半日休から全日休になった境目を体験している。
flyingspaceshipの得意とする曖昧な記憶力によると、土曜日が半日授業の時は、3時間目か4時間目までだった。時節の行事などで3時間目までの時もあった気がする。
2時間目と3時間目の間には、20分程度の休み時間があった。
私の通っていた小学校はすぐ裏が山で、生徒数は年々減少、最終学年の頃にはひとクラスのみになった。そのため、空き教室が多数存在した。
人の気配が少ない上に旧い建物の学校は、湿度が高く太陽光が雲で遮られた日には、重たい薄暗さで満ちていた。
学校全体が灰色の雲に包まれたような気分になった。山が近いからそう感じたのだろうか。
空き教室は開放されていた。
20分程度の休み時間では、外に出て遊ぶにしても時間が限られている、と判断した一部の生徒が空き教室にたむろしていた。
何人かが、ゴソゴソと猫背になって、数人でカードゲームに興じていた。
具体的にクラスの誰だったかは思い出せないし、私は実際、その教室のその状態をいつも見ていたわけでもない。
なぜか、「湿気のある曇りの日」はそのイメージが頭に浮かぶし、土曜日のイメージはいつも曇り空の日だ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。