2000年のお正月
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
1999年から2000年になる時、私は小学6年生だった。
1999年の夏のノストラダムスの予言は、誰かが望んだようなロマンチックな非日常を起こすことなく、ただ時が進んで、日常をやり過ごした。
私は1999年の夏に初めて、ノストラダムスの予言のことを知った。マジならもっと早く周知してくれと思った。
お正月の映像は、よく覚えている。
私の実家では、御節に入れる栗きんとんを、子供がしゃもじと網で『濾す』。それを、大晦日の夜に年末番組を観ながら行う。
子供が、と書いたが、主に私だ。私は台所立ち入り禁止だったため、リビングでテレビを観ながら栗きんとんを濾していた。
姉は台所でなにか煮たり、台所になにかを運んだりするついでに、テレビも観ていた。と思うが、もしかしたら、私の手つきを監視していたのかもしれない。
どのくらいの量があったのかわからないが、2時間以上、ずっと、しゃもじで網に黄色いペーストを撫で付けていた。
栗きんとん、とは言うが、ペーストの正体はサツマイモをオレンジジュースとかで煮たやつだったと思う。それに申し訳程度に茹でた栗を混ぜた。
どこの局かまでは覚えてないが、年が開けるカウントダウンが始まる前後は、日本だけでなく、世界各地の映像が流れた。それは今でもやっているのだろうか。
2000年が待ちきれないとでも言うようなくらい、カラフルな『2000』とペイントされたアイテムを持っている人が多かった。
『2000』をかたどったメガネをかけた人も大量に見た。
今だったらみんな、『映え』を意識して、SNSにアップする目的ですると思う。
しかし、当時インターネットにプライベートな写真をアップする人間は極々限られた人間だっただろう。
当時、2000メガネをかけてた人は『テレビに映るかも』という淡い期待はあったかもしれないが、その場にいる人と自分が楽しいからやっていたんだと思う。
SNSにアップするために、楽しいことをするようになった最近では、『ネットにあげるわけでもないのになにかしてる奴』の方が奇異の目で見られるくらいだ。
もしくは、楽しい格好をしたら、『SNSにアップしなくちゃもったいない』とまで考える人も現れはじめ、余計なものをアップロードして自分のこの先を完全に塞ぐ事態も起こす。
2000年のお正月に、どこの電波にも乗らなくても、2000メガネをかけていた、あの空間限定の楽しさはその人たちにしかわからない。
数日後に、写真で見返して、冷静になった自分と見つめ合うことになったかもしれない。
ただその瞬間のことは、栗きんとんの黄色いペーストをおざなりに潰していた私には、もうわからないのだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
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