執拗と変容
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
ブログを書いている友人から、こんなテーマが投げかけられた。
恋愛音痴 by 草野 | エッセイ投稿サービスShortNote(ショートノート)
ある友人はずっとひとりの人を思い続けている。尚かつ、その人に幸せになって欲しいと思っているらしい。その「幸せ」の中に自分が入っていなくてもいいとのこと。かたや私はというと、欲にまみれているのでなかなかその境地には至らない。
その『極意とは?』とのことだ。
しかし、この件に関しては割とこの友人以外からも、首を傾げられる。いわゆる『flyingspaceship七不思議』だ。
『境地』や『極意』という単語を見ると、私がまるで己の肉体を酷使し、厳しい修行を積んでその恋心を育てたみたいだ。怖いな。
恋をしている刃牙だと思ってほしい。怖いな。
言い訳めいたことになってしまうが、「ひとりの人をずっと思い続け」とあるが、予想通りだと思うが、高校生のときしっかりと振られているので、もう叶う恋ではないのは百も承知だ。
好きな人であったのは間違いがないが、付き合ってもいないので、欠点やマイナス面を知らないままなのだ。好きなものを、好意を拒まれたという一点だけで、好きじゃなくなるのは難しい。
そもそも、好きなものに好意を伝えて、受け入れて貰える事の方が、私には異常事態なのだ。非日常だし、確率数%の実験に良い結果で成功してしまったことになる。きっと長い長い論文を書かない限り、納得できず、安心して幸せになれないかもしれない。
私が、その人の『私が存在しない幸せ』を願うのは、私が振られたことがその人の選択ルートで、間違いではないことの証明になって欲しいと思うのだ。好んで選んでいないものが存在しない世界のほうがいい。
また、相手にしたら、そんなことは関係無いが、好きになった側の私としては、好意を拒まれたことも正当化させないと、自分で自分を救えないのだ。
『どんなに好きでも、少しも好かれない現実』から、救えないのだ。
好きだと思うことは変えられないが、『好きになって欲しいと願う好意』とは形を変えていかなければ、振られたほうはこの先別の生き方を楽しめないと思う。というか、私は楽しめない。想像しただけでも、この先なににも希望が持てなくなった。
つまりは自分が(不幸とはいかなくても)幸せじゃないときほど、好きな人の幸せを夢想してしまう。
また、私は友人に『アイドルの恋愛や結婚 』についても似たようなことを言っている。
ファンが、絶対に手が届かないとわかっていても、アイドルに課金するのは、幸せになって欲しいからだ。自分のものになって欲しいからではない。だから、恋人が出来たり、結婚したりは、自分が死にそうになるほど課金しなくても、アイドルを支えて幸せにしてくれる人がいる、ということだ。しかも、そのアイドルはプライベートでも魅力的な人間としてできている人、ということだ。そんな人のファンであってよかったと、喜ばしいことなのだ。
振られたあとの好きな人は、新たな供給やファンサービスは皆無なのでそこまでアイドル感は無いが、それと似てはいる。
あと、これはその高校の時好きだったAくんが、松浦亜弥を好きだったという情報も影響しているかもしれない。
彼だけを追いかけて彼ばかり考えていても、重荷を背負わせるだけだ。ただの同級生なのだ。
追いかけはしないし、私も高校を卒業したあと別の好きな人は出来ることもあった。
ただ、好きなもののなかに彼も含むし、今まで別れた恋人も幸せだと良いと思ってはいる。誰も私を不幸にしたわけではないからだ。
あと、彼の場合は、顔が1000%好みの完成形だった。
キティちゃんをずっと好きな人もいるだろう。それと変わらないと思ってもらえれば、私への理解も増えると期待する。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。