宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

憧れにさわる

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。

 

アイドルの握手会というものに参加したことは無いが、『握手』というパーソナルな挨拶を憧れの対象とできることがとても在り難いことなのだろうと思っていた。

私の解釈する握手による「挨拶」の内訳としては、「今後とも顔をあわせる機会があると思います」「以後お見知りおきください」というくらいだ。

flyingsapceshipとしては握手を介して「以後お見知りおきください」と言うことで、頻繁に現れても『うわっまた来てる…』って思わないでね、という意味も込めたい。

 

flyingsapceshipは、握手は挨拶という定義以上でも以下でも無い。その相手が、憧れの対象であったとしてもだ。

 

しかし、『ファン心理』の派生のなかで、『憧れにさわりたい』という行為もある。

欲求という意思を飛び越して、行動に走って、そのあとの顛末で自身を満たしているのではないかと思う。

『握手』も、「挨拶」ではなく、「接触」と捉えているのだ。

「触れて」相手が、どのように反応するのか、自分がした行為に対して反応してくれることでなにかが満たされるということだろう。

好きな子が自分の前の席になったら、授業中に執拗に小突いたりして、嫌われるタイプだ。

 

友人から聞いた話で、とある有名なバンドのライブ会場で、人気のボーカルが客席へダイブしたらしい。

flyingsapceshipはライブ会場が基本的に怖いので、いくら憧れている相手でも、上から人間が降ってきたら「えっ…こわ…」と思ってその場から逃げると思う。

しかしライブ慣れしているライブ会場リア充にとっては、大盛り上がりの場面で、憧れの対象に「接触」できることに喜び、興奮するらしい。友人はライブリア充なので、「次いでに」と思い触ってみたらしいが、その隣で別の観客がそのボーカルの靴下を脱がそうとしていたらしい。

 

私が「えっ…そういう人は、お家に帰ったら、おかあさんの靴下も脱がしたくなるのかな?」と言ったら、友人ふたりは苦笑いしながらそれを否定した。

そういったフェチ性だけとは限らず、「みんなの憧れの対象の靴下を脱がした俺」という物語をイメージして興奮のままに脱がそうとしていたのだろうとのことだ。

では、その人は、「そういう俺」の演出のために、ファンになりお金を払ってライブ会場に来ているのだろうか?

どんなに『憧れ』ていても、その世界の絶対的主人公が『自分』であることに変わりのない、非常に自己肯定感の強い人間だ。

簡単に傷つける言葉を浴びせるとしたら「思い上がりも甚だしい」くらいだろうか。

 

私はファンと言うものになったのが去年だったので、『ファン心理』がまだ育っていないだけかもしれない。

ただ、自ら『さわりたい』という欲求はまだ産まれていないし、どんなときにそれが産まれるのか、少し怖い。

しかし、いままで『好きな異性』に対して、付き合ってもいないのに触りたいと思ったことが無い。付き合っていたら、手を繋ぎたいと思うこともある。

握手をすることで、人垣のなかの凸凹の一部ではなく、人間として認識してもらう機会があった、と嬉しく思った。二次元でいうと、棒や影人間から、「顔の凸凹や髪型や服装をしっかり描いてもらえるモブ」に昇格したくらいだ。

 

また、もうひとりの友人の話で、つい最近某有名デュオのライブ会場で、エキストラとして参加したファンのひとりが、演奏中のギタリストに、タオルをぶつけたという。

自分がタオルをぶつけることで、振り向いて欲しかったのだろうということだ。

 

ちなみに私は、高校時代、一度だけ好きな男の子の後ろの席になった。

しかし、プリントを回されたりする度に、緊張してプリントを落としたり、なにも喋れなかったりと明らかに挙動不審になったため、相手の男の子は気の毒に思ったのか、気持ち悪いと思ったのか、一日も経たずに私と仲の良い友達と席を交換した。

 

振り向いてもらうのは、思いが通じ合ったときだけでいい。

憧れに触るのは、時にはお互いに障りになる。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。