思い通りにさせたくない
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
私の実家には定期的に親族が集まっていた。盆や正月が1番人が多い。
親族といえど、ほぼ知らない大人だ。いちいち顔まで覚えていられない。
人見知りで引きこもり気味の私は、小学校高学年から高校生くらいまで、その期間、挨拶を最初にしたらほとんど会わないように工夫して家の中を過ごした。
挨拶以外で会うと、「いくつになった」から始まり、「いま学校でなにをしているのか」「勉強は好きか」「友達はどのくらいいるか」「部活はなにをやっているのか」「進学はどうするのか」などの質問責めに遭うのがなにより面倒だった。
中学の3年間は部活で忙しかったので、幸いにも、会釈程度でサッと隠れて過ごせた。
その成果が生まれたのか、ある時、聞こえた。
「お姉ちゃんと比べて、2番目の子(flyingspaceshipのことだ)はなにを考えているのかわからないね」
いい歳でもないババアとジジイどもが、まだ中学生か高校生のガキ(flyingspaceshipのことだ)を、わざわざ姉と比較して批判していた。
このように文章にすると最低だが、おそらく彼らに悪意はない。ただただ、純粋な気持ちだけで、言葉を吟味することなく口から発しているのだ。
田舎によくある、『どこの家の子供も、自分の子のように扱う』という慣習が、悪い例として生まれただけだ。
私はより一層努力して、親族と顔を合わせないようにした。
私は想像した。
「なにを考えているかわからないね」と言われたころの時代背景には、「コミュニケーションが苦手な奴は引きこもりになったり、酷い場合は犯罪に手を染める」というイメージが世間にあふれていた。
私の親族たちもその瞬間、おそらく私に対してそのイメージが、少なからず生まれただろう。
それならば、徹底的にそうなるように見せてやろうと思った。
結果、そんなイメージ通りにはなってやらないからだ。
数年に一度の法事などで、親戚たちのコメントに困る顔を見るとき、私は愉快に思う。
自分がすっかり30歳を過ぎても、『大人』の思い通りにならないことの方が楽しい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。