door-to-doorでいいの?
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
これはほぼ病気とも言えるかもしれない。
flyingspaceshipは寄り道しないと帰れない生き物だ。
door-to-doorで生活できない。
仕事場と家のdoor-to-doorでその日いちにちの、外の生活が完結するって、すごく、あの、無駄が無くて良いと思うけど、でも、なんか、気持ち悪くないですか?
私は気持ち悪いので寄り道をします。
何かを買うとか、何かを食べるとか、例えばいきつけのキャバクラとか、愛人がいるとか、そういう『目的』がはっきりしている時と、そうでなくて、ぐるっと、いつも通らない道を通って、いつも行かないコンビニがあれば点検して、いつもどおりの道を歩いていて、いつも見るコンビニでも巡回して、その後、正しい家路に戻る。
その『目的』といえる目的も、その日の休憩時間にわくわくしながら決める。決めておいて行かないこともあるが。
そういう、無駄な動きをしないでいると、生活という目的だけを完結していると、『気持ち悪い』というのは、なにも考えなくてもその日の自分が終わるからだ。
なにも考えていなくても、その日が無事に終わる。
目的だけが達成できる。
なにものにも囚われず、なにについても考えず、身体だけ動かして、平和に暮らしていたら、脳味噌がドロドロに溶けて鼻から流れ出ていきそうだ。
ドアからドアへ。目的から目的の生活へ。
怖い。
けれども、きっと今と『生活』の基本構造が変われば、その気持ちの悪さも変わると思う。
小学5年生で、ポケモンにはまっていた頃はそうだった。寄り道は一切せず、家のゲームボーイまでまっしぐらだった。なにかに夢中になっていたり、なにかが待っているなら、きっとそれは『目的』のためだけの生活ではない。
涼しい夜になってきた。
脳味噌が溶けて鼻から流れ出る前に、なにか夢中になれることを見つけられたら良いとは思う。
それまでは、考え事をしながら寄り道して、そのどうしようもない頭の中をこのブログに垂れ流せるようにしよう。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。