書くネタが無い理由
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
書くネタが無くて困窮しつつある。
ネタが無くて日々のことを書こうとすると、どうしても私自身の暗い部分ばかりが露呈する形になって、読んだ人にとても気分を害させてしまいそうで心配だ。
そもそもネタが尽きてしまう理由はなんだ、と考えてみる。
『精神的引きこもり』だからだ。
仕事に行き、ご飯の食材をスーパーで買い、時間があればコーヒーを一杯引っかけて、元気があればコンビニを巡回する。休みの日は、昼まで眠っていて、ここから仕事を抜くだけだ。時間と元気がなければ非常に危うい休日だ。
このルーティンから外に出ようとしない。
ほぼ同じこと、同じ場所しか視界に入れようとしない。
これが『精神的引きこもり』だと思っている。
新しいものは勿論、不快なもの、乱雑なものも、大量に脳に注入していかないと、脳は活性化しない気がする。
ちょっと混乱させるくらいがいいと思う。
なにせ、脳はこの体積に対して3%程度しか活用できていないのだから、モノを考えて、文章にするのなら、零れ落ちてしまうほどのインプットが必要だ。
私は新宿西口、ヨドバシカメラの裏あたりの、看板がひしめく景色が好きだった。夜は目が認識しきれないほどの大量の色と光でいっぱいになる。
頭が疲れているときこそ、あえてそれを見に行った。お酒も飲めないので、スタバに行く道を通り過ぎるついででもあった。
ドラマやアニメを観ることでも、情報はたくさん入るはずだ。これは、家にいても引きこもりでは無いと思っている。
あれこれ興味があるから、ドラマもアニメも観るのだ。
自然と興味が湧き、それを摂取しに行くのは活動的な脳だ。
「なんか面白いことないかな」
と私が言い出したら、私はおしまいだと思っている。
面白いことは、今の世の中いろんな人がいろんなところで生み出している。自分がその場から動かなければ、自分しかエンターテイメントの発生源が無いのに、外の世界がつまらんと言っているようで失礼だと思う。
このまま老人の身体になったら、いよいよ気がおかしくなる可能性もある。
なるべく、次の休みは、ちょっとでも、新しい景色を見に行こうと思う。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。