モチベーションについて
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
私は毎日の出来事より、自分の頭の中のこびりついたなにかを言葉でこそぎ落としたものを寄せ集めて、このブログを書いている。
以前『おおきちナイトニッポンナイト』という、ウェブライターおおきちさんのイベントに行った時、おおきちさんに「考えていることを毎日書くのすごい」と優しく褒められた。褒められたら、それを素直に頑張るのが私だ。
職場の人に、
「flyingspaceshipさんは同じことでも、モチベーション高く続けられるところがすごいですよね」
と、とても褒められた。褒められるのがそれしか無いのかもしれないという後ろ向きな恐怖は置いておいて、私の良いところはそういうところなのだろう。
ただ、そのあと
「そのモチベーションの維持ってなにかコツがあるんですか?」
とも言われた。
それはすぐにはハッキリ答えられなかった。
わからない。
モチベーション
人が何かをする際の動機づけや目的意識。
意欲的に取り組んでいる、というより、「褒められたからそれを続けている」だけでもある。
同じことを同じように続けるのは難しい。人は機械ではないからだ。このブログもいつも同じ質とは言えない。最初に比べたらだいぶ言葉少なになったと感じている。
同じことを同じように続けるためにも、努力や工夫や変化も必要だ。
仕事だと、どんな工夫をしているか、と問われるととても難しい。
誰にも心が折られていないことがひとつだろうか。
昔の仕事では、日々、新しいことをしろと言われやったことが批判され、指示された通りにやっては元に戻され、批判されて元通りにすればそれ自体を「新しいことをしていない」と批判された。規則を規則通りに行うように推奨して、それを反した人に注意をすれば、私が非難された。いつも虚脱感で疲弊していた。
それが、5年間の中の最後の3年続いていた。
「こんなことで死ぬわけねーだろ」と思いながら、終電が目の前で過ぎていくとき、「ここで飛び込んだらどうなるだろう」などとわかりきったことを考えていた。私だった肉や骨や液体を伴った繊維がバラバラになって、一時的に大勢に迷惑をかけるが、また恒常的に日々が続くだけだ。
職場に段ボールを敷いて目を瞑って、なにも考えないように悪口を並べて眠ったふりをしたが、クソの役にも立たない悪口で埋まった脳は醒めていた。
私の頭はさほど良くはないので、そういうクソの役にも立たない出来事で振り回されることがないことが、意欲的に仕事に取り組める理由なのだろうか。
それだけではなく、その人のように、今の職場には褒めてくれる人がいる、という明確な理由もあるだろう。
私のように、褒められただけで頑張れる奴には、褒める人がいないと意味がないのだ。
仕事はやって当たり前ではあるが、やる気はあって当たり前ではないのだ。
そうか。今度、「あなたのような人がいるからですよ」とキラリと答えよう。
このブログも、いつも書いてはいるが、読んでくれている人のおかげで続いてはいる。
質は保証できなくても、読んでくれている人は、いないと続けられない。
ありがたいのだ。私はこういう奴だから。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。