宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

餃子について

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。

 

何度も書いているが、実家の台所は出入り禁止であった。10歳くらいでピーラーで、自分の親指の爪を剥いたからだ。

 

そのため、食事の手伝いというものをほとんどしたことがない。

ただ、ホットプレートを使った食事が出る日はよく手伝った。

 

実家には大きめのホットプレートがあった。

母が結構気に入っていたらしく、壊れても新しいものに買い換えていた。

 

ホットケーキやお好み焼き、焼きそばあたりはよく作っていて、その材料を混ぜたり、焼きながら混ぜる作業はしていた。刃物は持たされなかった。

ホットケーキは、私ひとりでも時々作っていた。

 

餃子の日は、具の材料を刻むのは母、具を混ぜるのは姉、皮で包んでホットプレートに並べて焼くのは私だった。

 

ただ、絵を描くこと以外はほとんどが不器用な私は、具を混ぜ終わった姉に口うるさく「汚い」「雑」「へたくそ」などと言われて嫌気がさし、適当にやっていた。

 

なぜ、餃子の皮を閉じるのに折り目をつけなければいけないのか。

なぜ、目分量で同じ量が測れるものなのか。

姉は折り目の幅や数にも目ざとく口を出してくる。

 

胃に入れば全部同じじゃないか。

 

いつもどおり、水っぽい、歯ごたえもなく、焼き目も付いていない、いつもどおり、なんの工夫もオリジナリティも感じない、母の料理の味だ。

 

そのため、餃子の日はあまりいい気分ではなかった。

最終的に大したものでもないのに、手間を与えられ、その上姉に叱られ、CMで見るような餃子にはならない。

 

母が手間を惜しんで大皿のなにかを作れば良い、と思ってのことだろうと、私は今でも思っている。子供がある程度育っているから、子供を手数として使える食べ物を作っておけばよいという算段だろう。

 

家で食べる餃子なんて、水で膨らんだ小麦とミンチ肉と刻まれたキャベツだ。

 

少し前まで、餃子にまったく魅力を感じていなかった。

 

私が自炊をするようになったのは11年の一人暮らし生活のうち、最近の4年程度だが、あるとき、なんとなく、冷凍食品の、味の素の餃子を買った。

 

『水も油も要らない、ハネはパリパリ』という謳い文句は、私は信用していなかった。

「嘘つけ、どうせ私がやったら悲惨なことになるさ」と充分に捻くれてもいた。

 

捻くれていたが、なんとなく、本当なのか確かめたい気持ちのほうが大きくなった時があったのだろう。

たぶん、心に余裕があったのだ。

 

ラー油も酢も無いくせに、冷凍餃子だけ、ほとんど使っていなかったテフロン加工のフライパンに並べた。

ただ焼きたかっただけかもしれない。

 

ご存知のとおり、簡単にCM通りの、ハネがパリパリに香ばしい、美味しい餃子ができた。

 

いつも一気に一袋焼いて食べている。

これで一食が埋まるのだから非常に経済的だ。

 

実家での餃子作りほど不経済で意味のない作業はなかった。

ついでに罵られるのだから、賽の河原どころではない。ブラック企業だ。

 

一人暮らしをしてから、実家の普通の夕飯には参加したことが無いが、万が一参加して餃子だと言われたら、近所のスーパーで味の素の餃子を3袋くらい買って来ようと思う。

これも家族思いの行動のひとつだ。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。