やがて君じゃなくなる
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
月夜のサラサーテ The cream of the notes 7 (講談社文庫)
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/12/14
- メディア: Kindle版
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森博嗣ほど、文から『天才』を表せる人を、私は他に知らない。
実際とても聡明な方だと思う。なんてったって面白い文章を書く作家なのだから。
しかし、まぁ、エッセィともなると、なんというか、身近なテーマで書いてくださっているために、まぁその、『天才』が洟につく。
俗らしくSNS的に言ってやると『匂わせ天才』だ。
ここまで、自分は特別な存在である目線、周囲の人間の思考の、自分と比較して、及ばなさばかりをあげつらって、それを日常として切り取っているのだから、まぁ苦笑いしながら読んでいる。それがまた面白い目線なのだが。
しかし、これがTwitterであったら、とんでもない老害でしかない。逆に、金銭が発生する人で無ければこういった文章の書き方はしてはいけないな、とも思う。
森博嗣の目線からの周囲の人々は、『なぜこんな事も考えが及ばないのか』と疑問を持つ対象として映っている。
さて、私の目線から、私の周囲の人々はどう映っているのか、考えてみた。
私の周囲の人々は、『ずいぶん優しい』と思って見ている。
私は好きじゃないものには関心が無いし、自由である事を自分の生きる世界の価値と見ている節がある。そのせいで、特にTwitterは、悪口雑言の限りを尽くす時もあるし、自分の好きな事やものについてはただ垂れ流していることもある。
しかし、近しい友人たちの一部に話を聞いてみたり、考えを聞いてみたりすると、ハッとするほど世界や世間に優しいのだ。
例えば、私の言葉も、時に、「その表現では可愛くないぞ」とか「もっと、聞いた人に、君が優しく見えるようにしたほうがいいよ」とかアドバイスをしてくれる。私が友人の紹介とか合コンとかのきっかけで恋愛に参加できないのは、こういう面が原因だろう。どこに出しても刃物が生えた鉄球のような発言をする恥ずかしい奴だと見られている。
しかし、そう言ったアドバイスをするということは、彼ら彼女らは、自分の言葉や態度を他者を意識して変更等する必要があり、なるべくそれのほとんどが優しさであるように振る舞う努力をしているのだ。その他者を好きであっても好きじゃなくても、というか、嫌いでなければ、ほとんど全てそうだ。
好きじゃなくても、嫌いでなければ、世界や世間に優しいのだ。
私はたぶん、それに理解も思考も及ばない。
好きじゃなくても優しい、は、とても優しいが、私のように『好きだと確定したものにしか優しくしない』常識の中で生きている人間には、とても厳しい。
好きじゃなくても恋人になってみたり、結婚してみたりしている世間の方が一般的だという現実もある。
女は「好きじゃないんだけど」と言って結婚した方が幸せだとか言われることも多い。好きじゃなくても恋人であることを許す優しさが無いといけないのだ。
私はそういう優しさがある人たちの、恋人のいないところ、配偶者がいないところでの愚痴がとても恐ろしい。本気か本気じゃないかは、私からは測れないし、どっちであれ、そもそも気持ちの中で真実がどこにもない『信頼関係』という気味の悪さがある。
そういう優しさを持った人を、私みたいな常識の中で生きる人間が一方的に好きになってしまった時が、不幸だ。
好きじゃないのに恋人になったり、それが終わったりするが、人の優しさの真実について考え始めると訳がわからなくなる。最初から好かれていなかったのに、恋人であった間は私だけがそれを真実だと思い違っていた。それを終わった時にすべてを知る。その長い期間、私だけが愚図だったと知る。勘違いによって高まった自尊心は、勘違いを自覚することでボロボロになる。
ずいぶんと優しい世界だ。
ずいぶんと優しいので、私は優しさに真実を頼らないように気をつけている。砕ける自尊心を育てて、勝手に傷ついたりして、優しい人を加害者に仕立て上げないためにだ。
私も優しいから。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。