ちゃんとした
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
「ちゃんとした」家庭という定義はそれぞれ曖昧だ。
ただ、私個人のイメージとしては、家庭内で季節行事を必ず行う家庭は「ちゃんとした」家庭だと思う。
誕生日やクリスマス、お正月だ。
そう、今まさに家族が揃ったお正月が行われている家庭は、「ちゃんとした」家庭なのだ。
しかし、ここ20数年で働き方や暮らし方が変わった。例えばお正月といえば御節だが、それを必ず手作りする家もあれば、御節は品数が多く材料も高価で手間もかかるためお店で取り寄せか購入する家庭も増えた。それだけではなく、お正月特別メニューを各家庭で設定する場合もある。
多様化が認められるなか、御節に並々ならぬ情熱を注いできた家庭もあるだろう。代々嫁いだ者が味を引き継いだその家系図をなぞる御節は『手作り必須!さもなくば切腹』とでも言いたげだろう。
ふと友人のひとりがTwitterで言った。
「御節が出る家じゃなかったから結婚したら苦労するんじゃないか」
私の家は御節が出る家だったが、御節が何で構成されていたか、ほとんど覚えていない。当然伊勢海老なんて乗ってない。10年以上、お正月に実家にいなかったので仕方がない。
そもそもこの10年、私のお正月は元日のみ(元日も仕事の時もあった)が休みで、クリスマス後から年明けにかけての長期連休は無い。
もし、結婚できたとしても、もし、御節の構成をわかっていたとしても、作る時間は一切無い。「俺のママンは御節はパーフェクトにハンドメイドだった」と言われたら
「えっ!すごーい!じゃ、君は御節のことよく知ってるよね!御節は君に任せるね!私は有っても無くてもいいし、仕事あるからご自由にね」
と言いたいが、たぶんそういうお育ちの、「ちゃんとした」家庭の人は、そんな職業の私を候補にさえ入れないのだ。
「ちゃんとした」家庭の人と付き合いたいが、そういう人は選んではくれないし、選んだとしても、些細なことで崩壊するのだ。いや、確実に殺し合いになるのだが、なんとなく、「最初から選んでもらえない」と思うと寂しい気持ちになる。ましてや私は好んでこの仕事をしているため、より意見は食い違い、互いの死肉を喰らい合うことになるかもしれない。
ここまで猟奇的な『分かり合えなさ』を想像できても、「自分は「ちゃんとした」家庭で育った人には最初から選んでもらえない」と思うと寂しいのだ。
最終的に血で血を洗う結末になっても、だれかに選んでもらいたい。
それが『犬神家の一族』だろうか。
読んだことないけど。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。