やるもやらないも
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。
毎日更新を終えた1月3日以降、「月1くらいでブログ更新しようかな〜」などと宣ってみたりもした。
やめてみてわかったのだが、ブログ更新しないと、他のやるべきことが次々と思い浮かんでしまって、それで1日が埋まる。その出来事の中で食事をしたりぼうっとしているだけだった。
そのうえ、私の性質により、思いついたことはその時にやらなければいけない。
『やらなければいけない』理由としては、その物事の重要性のランクに関わらず、なんでもすぐ忘れるからだ。
思いついたその時、その日に終わるものではないとしても、始めるのはその時でなければなにもかも無かったことになる。
考えたことも、反省したことも、全部、私の思考の中だけだと、消えることで完結する。
ブログ更新の時間はそれほど取ってないつもりだったが、毎日更新をやめてみると、できる余剰物はたくさんあったのだ。
では、毎日更新以前は?と考えてしまう。
無理にねじこんだルーティンのおかげで、本当はできることがたくさんあると気付けた。
こうやって書くと胡散臭いなにかの概念の勧誘のようだし、意識高い系の『起業(数年で自己破産)』の始まりみたいだ。
私はいま、余裕がある、と思える。
お金ではない。
お金ではない。50万くらいはポンと欲しい。
昔の、脳の中でワーワーして、好きな雑誌も本も読めなかった時期のことを思うと、時間だけでなく、脳の処理の中にある程度の余裕があると思えた。
思えるか、思えないか、だけでも自分に余裕があるかどうか違う気もする。
友人によく「貴方は0%か100%かでしか考えてないね」と言われる。
効率や結果を求めるなら、『はじめる』行動は0%か100%だ。
中途半端にやって頓挫したことを『やったけどできませんでした』は詐欺や嘘やまやかしだ。
仲間内だけで持て囃される中途半端に成績のいい奴に勉強方法を聴くより、仲は良くないが学年で1番点数を取った奴に勉強方法を聴くほうがいいに決まっている。中学生のとき、そうして、そいつと同じ塾に通い始めた。
田舎町にひとつしかないからと混み合う医者より、病院が乱立する都会にある評判が良く大きな病気に行く。一昨年はそうしてアトピーで入院した。
確実な方法を選択したつもりでも、間違うことがあるのに、中途半端に選んで結果が出ないのは当たり前だ。
それで不平不満を言うのだけは格好悪いと思う。
格好悪いのはいやだ。
ただ、そういう格好悪いところをボツボツと投げ込んでも、みんなが見て見ぬフリもしてくれるぬるま湯インターネッツが好きだ。
これから仕事が忙しくなる予定だ。
めちゃくちゃにやる。
中途半端にやってるくせに、給料が少ない、とは言いたくない。めちゃくちゃにやってるから、不平不満も言うのだ。不平不満は言いたいからだ。
めちゃくちゃにやります。
仕事をしてる時の自分の方が好きだ。
まぁ、当たり前か。じゃないと金は発生しない。私よりお金の方が偉いからな。
カイジ読みたい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。