宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

ドラマを見て結婚できないと思ったこと

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。

 

タイトルからして暗い気持ちにさせてしまうかもしれない。

ただ、私自身はなにも落ち込んだり悲しんだりしていない。

ただ、「わかった!そういうことか!」と視界が広がった感じなので、むしろ清々しい気持ちだ。

わからないままモヤモヤするより、自己完結でサッパリしたような気持ちになる。それが30代独身女のあるべき姿だ。

 

タイトルにある通り、先週まで毎週楽しみに観ていたドラマがあった。

私にしては珍しく、時間通りにテレビの前でじっとして観ていた。

テレビ東京の『きのう何食べた?』だ。

私は原作のファンにカテゴライズされるが、テレビドラマも楽しく観られた。

世間的にもかなり好評だったと思う。

 

私も観ていて、「こんなパートナーと一緒に暮らすの、羨ましいなぁ、いいなぁ」と率直に思っていた。

 

先週は最終回だった。

シロさんとケンジが、昼間にふたりで女性客の多いカフェに行った。

簡単に言うと、少し前のシロさんなら、パートナーのケンジとふたりきりで人目に晒されるような場所に行くのは厭う傾向があった。最終回までに、様々な登場人物やケンジとの交流や生活が描かれたドラマだ。

ケンジが本当ならシロさんはカフェに居るのが本意ではないのでは、と、それでも来てくれてありがとうと伝える。シロさんは、「もういいかなと思って」と言って微笑む。ケンジはそれを見て安心したように、嬉しそうに微笑む。

 

それまで、「いいなぁ」と思って観ていたが、その場面だけは私は「こわいな」と思った。

 

私がケンジの立場だったら、「こわい」のだ。

 

好きな相手が、自分の目線から見たら、自分の影響で「変わった」からだ。

 

ドラマの中では、勿論ケンジの知り得ない、シロさんが受けた影響は数ある。シロさんもケンジも「孤独なひと」ではなく、家の外、社会生活があってそこでの交流も描かれているからだ。

ただ、ケンジから見たらその変化に少なからず自分が関わっていると考えられる。

 

私は好きな相手に影響したくない。影響を与えて、変わらせてしまうのがこわい。

私が好きになった、もしくは見つけたその時、その相手は『私の好きな人間』としてすでに完成されているからだ。良いところも悪いところも、今まで関わった人間の要素などなど、それらが合わさった状態のその人だからその人なのだ。

 

せっかくの美しい砂の城を、私の手で勝手なアレンジはしたくない。

その砂の城の細部まで、壊さないように20cmほど離れたところから、壁の作りや砂の木理まで観察し、知り尽くし、賞賛したい。

 

だから、極力、相手が私と同じ空間に居ないときは関わらないようにしている。

その人自身の純粋な活動に、私という要素は私が好きな完璧な相手には不純物だからだ。

同じ空間にいるならば、その人のことをきちんと知りたい気持ちはあるが、それが負担になってしまうことは無いように観察する。

 

その人という公式の情報が100%で、それ以外の妄想や考察も不要だ。

 

私がケンジのように、相手が自分の影響を受けただろう変化を見てしまったら、その途端からしばらく離れるか、影響の無いように気をつけるのだ。

自分のせいで人を変えてしまうのは怖いからだ。

 

しかしそこまで考えて、これが相手の立場だったら、と思うと相手に同情しかない。

良かれと思って譲歩したつもりが、それで離れるのだ。

その割には自分に対しての知的好奇心はあるように見えるけれど、私自身のことは分かりにくい。

自分の意見や行動を全肯定するが、それ以外なにも求めることもせず意思が感じられない。一体なにが良くて、なにが目的で一緒に居るのかわからなくなってくるだろう。

 

でも、私はそれで良いのだ。

分からなければ私のことなど考えなければ良い。一緒に居るときにストレスさえなけれはそれで良いだろ、WIN-WINだろ、と思っている。

 

ただ、恋人とか結婚とかは相手に影響され影響させて、お互いの変化を成長と捉えて生活も変わっていくものだと思う。

 

それが恐ろしい私は、結婚できないだろう、という結論に至った。というか、結婚となる前に、私のスタンスに相手がわけわからなくなって離れていくだろう。

 

そうか。ならば仕方ないな。

 

と思った。

私がいずれ誰かに影響されてその愛情スタイルが変わるまで、きっとこのままだろう。

 

しかし、生花も、野生のトラやライオンも、現代ではある程度の人間の関わりはあるが、人間の愛情過多の介入が無いからこそ美しいのではないだろうか。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。