宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

絵を描く私

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

物心つく前から、なにか絵を描いていた。

本当に、気が付いたら、という具合でもう絵を描くことが習慣になっていたのだ。

幼稚園に入るころには、クレヨンは手が汚くなるから嫌い、色鉛筆は色を塗るためにしか使いたくない、鉛筆をメインに絵を描いていた。

ただ、私の絵というものは、抽象的でも写実的でもない、そこに天才的ななにかを感じさせるようなものは無い、いわゆる漫画絵のモノマネだった。

そのため、周囲の大人に関心されることも、褒められることも然程なかった。

ように思う。本当は褒めて欲しかったのに、私が期待する褒め方じゃなかったため、記憶から削除したのかもしれない。

 

体感としては、承認欲求を絵を描くことでは満たされているようには思えないが、結局32歳を過ぎた今でもひとりで絵を描く習慣があるのは、結構意外な気がする。

むしろ、成人し社会人になった今のほうが、ツイッタ―というツールで絵をネットに落とせばそれなりに反応を期待できるため、承認欲求を満たそうとすることは簡単だ。それでも、8年以上使っているTwitterに絵を載せるようになったのもここ3年くらいのことだ。

 

技術向上のための努力も投資も挑戦もしない点においては、とても褒められたことではないが、とにかく一番続いていることだ。

この『技術向上のための努力も投資も挑戦もしない点』が、私が私で評価できず、ただ劣等感に埋もれ、自分の作品を愛せない大きな理由でもある。だから、部屋の掃除ででてきた絵のノートもバッサバッサと棄てられる。高校生のときも、それまで書き溜めていた数十冊ほどある漫画を描いたノートも、段ボールに詰めて棄てた。

 

夏休みの宿題でひとつは絵があるものだが、私は絵で表彰されたことは一度もない。水彩が下手なのだろう。

当時、選挙権も無いのに選挙ポスターで入賞できる同級生を尊敬した。私は選挙がなんなのかも良くわかってなかったし、総理大臣が誰であるかも知らない中学生だった。

 

私は絵で褒められたかったのだろうか?と度々思い出して考える。

絵よりも、部活で賞状が欲しかったし、成績で学年上位に入りたかったし、怖い先生にこそ認められていることを実感したかった。

恐らく、時代的に『絵を描く=オタク趣味で暗い』とマイナスの印象が最初にあるし、私自身、漫画絵しか描けない自分を恥じていた。その気持ちが強くあったのは高校生の頃だが、不思議と一番絵の練習をしていた時期でもある。勉強もよくしていた時期なので、単に机に向かう時間が長かったからついでにやっていただけかもしれない。

褒められないことだと思っていても、辞めることができないことだ。

自分でもよくわからない。理由が無いことはあまりしたくない性質のはずだ。

 

ところで、一人暮らしを始めて12年経って、やっと机の必要性に気付いたため、最近机を導入した。絵を描く習慣があるくせに、自分に机が必要だとは思っていなかった。

もともと部屋の管理ができない、人間的に底辺にいる私だったが、机が現れたことで活動場所が限定され、且つ活動環境の向上となり、「自宅で」絵を描く集中力が格段に上がった。

 

描き続けたい私的シリーズがあるのでメモをしておく。

・じょにらじ女体化シリーズ

・ゲーム系衣装のキャラクター

FGO関連

・曲をベースに漫画

 

女体化シリーズは怒られたらやめます。怒られたくないので。

 

本日も、愛しています。