おまじないについて
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
昼の飲食店で隣の女性が大きな声で言った。
「えっピアス穴って塞がるの!?」
「そうなの!私も信じられなくて」
普通の、20代半ばくらいの女性2人だ。
割とはっきりとした声なので、その前から話が聞こえてきていたため、職業もわかる。立派な仕事をされていて、職場での立場も、そこそこ堅実なようだ。
私よりよっぽど上級国民に近い。
それでも、ピアスの穴が塞がることが信じられないのだ。
彼女たちにとって、『ピアスの穴』は絶対的存在で、それがお互いの共通認識だったようだ。
しかも、恒久的にあるはずと思っていた『ピアスの穴』が塞がることはかなりショックだ、という様子だ。
きっと、皮膚のターンオーバーや細胞分裂なんて、考えたことが無いのだろう。
しかし、『ピアスの穴』は塞がるということも、経験無しでは考えられないのかもしれない。
flyingspaceshipにも『ピアスの穴』には思い出がある。
数年前、20歳の元気なギャルの助言でピアス穴を開けることを決めた。
「flyingspaceshipさん、彼氏出来なさすぎるからー、ピアスとか開けたらいいんだと思う!」
「えっ?」
「ピアス開けたら彼氏できたって人めっちゃ多いよー!」
「それは、なんで?」
「わっかんない!!でもそういうジンクスあるよー!超有名だよー!」
「ジンクスかぁ」
ジンクスやおまじないは、小学生の頃にかなり流行った。
友達もいろいろやっていた。
楽しそうなことならやってはいたが、そもそもまったく根拠も関連性も無いものだ、と理解はしていた。『おまじないエンターテイメント』だ。
そのため、その20歳の女の子の口から出た『ジンクス』という言葉が、大人になっても可愛らしい女の子でいられる理由である気がした。
それこそ、そういう影響されやすい考え方から『おまじないエンターテイメント』になるのだと思う。
それに、彼氏が出来ない、とだけ不平不満を垂れても、具体的になにをしたらいいのかわからないところだった。
人間と深く関わろうとすると始まりはリスクがつきものだ。それをわかっていても、向かっていけるほどの意欲が湧かなかった。
それに比べたら、自分の耳たぶをリスクに晒すだけで済む。やってもいいな、と思った。
ただ、私は気がついた頃から皮膚が弱い。触れるものすべてに傷付けられる皮膚、という、あっても無くても同じような外装だ。
しかし、思い立ったら吉日。すぐ忘れるからだ。
次の休みには、近所でピアスの穴開けができる良さそうな皮膚科に行った。
木村カエラが「ピアス開けるなら1、3、5、7」と歌っていたのを思い出して、3つ開けた。
開けた後、痛み止めと化膿止めの薬を処方してくれた。
皮膚に異変があったらなるべく早く来るように言われた。
両耳はジンジンとしばらく痛んだ。
「こんなもんか」
という感想だった。
その後、1ヶ月は苦しむことになるとは知らずに。
ジンジンと続く痛みはいつまでも止まらず、血が出ない代わりに、透明な液体が耳の穴から止まらなかった。
毎日の消毒は決して怠らなかったが、消毒をする度にその液体が流れ出る。
耳たぶは腫れて重くなった。耳は真っ赤だった。
私はその時察した。
これは!向いてないのでは!
皮膚科に再受診したところ、この状態ではピアス穴が定着することは無い、と判断された。
おそらく、皮膚と血液に外気に対する抵抗力が無く、再生しようとすることで皮膚を守ろうとしてるから、液体が出てくる。
ピアス穴は作れない。
3週間ほどで、耳はきれいに元に戻った。
開けたはずのピアス穴は、跡形もなく消えた。
20歳の元気なギャルは「ごめんねー、flyingspaceshipさんには皮膚になんかしたらダメだねー」と心配してくれた。
「なんか彼氏出来そうな作戦あったらまた教えるね!」
20歳の元気なギャルは変わらず、私の『彼氏ができない問題』に不思議なほど親身だった。
しかし、これはもうおまじない程度で身を捧げても、きっと何も起きないだろう、と思い始めていた。
私個人の問題ではかなり、困難な問題なのではないだろうか、と。
少し、ゾッとした。
そして、その年の夏に不幸にも事故で、利き腕の骨を折った。
その1ヶ月後、彼氏ができた。
どうやら、腕の骨1本捧げないといけなかったらしい。
おまじないでは私の不健康な体質上、見返りにならないのだろう。
ほぼ黒魔術か、ヤクザの取り立てだ。
今、またその問題が目の前にあるが、次は自分の身体のなにを犠牲にしなければならないのだろう、と考えると、恐ろしい。
そのため、なにもしない、という選択肢しか無い。
きっと、そんな選択肢を選ぶ他ない30歳の存在こそ、カフェで隣にいた女性たちにとっては『恐ろしく信じられない』のかもしれない。
常識レベルは決してひとつごとでは測れないな、と、学んだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。