リズと青い鳥について
こんにちは。
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flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
Twitter以外の情報が遮断された特殊な環境に身を置いているので、Twitterの情報にすぐ影響を受けるflyingspaceshipだ。
久しぶりに、『シン・ゴジラ』以来に、映画館で映画を観てきた。
『リズと青い鳥』だ。
大都会新宿でさえ、1日の上映回は2回という、だいぶ『遅れて』の参加だった。
私はアニメや漫画の『鮮度』に関して無頓着なので、流行りに乗る・遅れるは気にしていない。
ちなみに、私が勝手に応援している『JOHNNYPARK』のすがゆうさんのブログで、かなり的確な文章表現で映画の魅力が綴られているので、すでに映画を観た方で、とにかく首を縦に振りたい方はそちらがおすすめです。
ただ、これは映画館での上映期間が充分あるうちに、がっつり観たかったとも思う。
90分枠の長くない映画でもあるが、終わったあとの率直な感想は、「まだ観たい」だった。
まだ、あの空気の中にいたかった。物語の舞台が高校3年生の夏だからなのか、作画がとにかく美しすぎたからなのか、とにかく『モラトリアム』感満載で映画館から追い出された気持ちだった。
まだ、まだ、あの子たちに、没頭していたかった。
ここまで情熱的に書いたが、私はアニメ映画を観るのは、非常に久しぶりだ。最後にアニメ映画を劇場で観たのは、たぶん2009年の『名探偵コナン』かもしれない。
その上、私が映画館で観る映画は大体、コナンかジブリ、他は大きなアクションがあるものくらいという、かなり薄っぺらい文化系だ。私にとって映画は、「盛り上がりが大きく、見栄えの良い短編のようなもの」、「前情報やシリーズを知らなくても楽しめるもの」という、短絡的に楽しむものだ。
『リズと青い鳥』も、前情報はTwitterの「良い」という言葉と、上記のすがゆうさんのブログの冒頭だけを頼りに、なにをする物語なのかも一切知らずに向かったが、充分以上に楽しめるものだった。
ただ、アクションやミステリーの類では無いのはわかるので、少し不安もあった。
こんな薄っぺらい文化系ひきこもりが観て、ちゃんと理解できるだろうか、と。
アニメや漫画も、わりと日常系はものによってはすぐ飽きる酷い人間だ。目的があっての物語展開ばかり追うので、ロジック重視で情緒を受け止められない(時には、ワンシーンを切り取って「意味」を友人に尋ねて引かれる)ところがある。
『リズと青い鳥』は、決して、演出過剰だったわけではない。
生理食塩水のように、もともと当たり前に自分の中にあったかのように、物語の空気が身体に染み渡って流れていって、最終的に涙になったのだ。
どこから泣いたかわからないが、張り詰めた糸を引き伸ばすような、登場人物の表情と声と台詞に、感覚が呼応していった。
「ただ悲しい」話ではなく、ずっと見守っていたかった彼女たちが、離れていく喜びと寂しさを、一緒に感じられた。
90分で、私たちを、青い鳥たちを解放できるまでに導いてくれた映画だった。
さて、以下好きなシーンを記憶から厳選したので『ネタバレ』になります。
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冒頭のシーンで、みぞれの美しさを全画面から放出してきたな、と思った。
少女の零れ落ちそうな瑞々しさを、前髪、まつげ、指先、爪先、スカートの裾、すべての末端で描ききられた。
この時点で、観客は愛しい青い鳥を見つけてしまったのだ。
みぞれの美しさと脆く(みえる)圧倒的な少女感に対して、少年のような柔軟さと明るさ(それでいて不透明)が魅力の希美の登場で、物語のペースは、あわよくば希美のテンションに任せてしまいたくなる。
しかし、物語が1分1秒進むほど、ふたりはぴったりと真っ直ぐで、でも、ただの観客からもわかるほどどこか歪だった。
不正確なパズルの一部を宥めるように、剣崎梨々花や吉川優子、中川夏紀がふたりを見守る姿に、『高校三年生の女の子』の社会性が見えてくる。未成年を、その魅力を描いても、決して子供として描かないところが良かった。
それも踏まえて、「自分の進路とみぞれ」について優子と夏紀に語る、希美の柔らかさで誤魔化すような、優しい微笑み顔に胸が痛んだ。
自分の欠点に感じることであり事実をちゃんと見据えたい気持ちと、言葉にして訥々と整理しようと、微笑み顔で葛藤している様子は、ささくれをひとつひとつ確認する「作業」のようだった。
その微笑み顔にも、監督ならではの想いが込められているとすがゆうさんのブログで知って、納得した。
私の解釈では、希美は、あの顔で自分もみぞれも守っていきたかったのではと思った。高校三年生の「将来」が来なければ。
中盤に、『相手の好きなところを言いながらハグ』という文化を見た。
私は「女子校ならありそうだなぁ」と思ったが、あの高校は共学なのだろうか。
最初にそれを振ったのは希美で、でも、きっと、希美は拒否されるのを恐れたから、自分からみぞれの答えを遮ったのではないだろうか。
しかし、そのあとの両手を伸ばし広げたみぞれへの、希美の2回の返事に、私は2回とも揺さぶられた。
「…今度ね」
「…っ!」
傷付けられて、好きだから悔しくて、最後は、愛おしくて仕方ない希美。
2回目の、『息を飲む音』というか『人間の生身から生まれた声』とも言えない、希美の返事に、観るものは同じように息を止めた。と同時に、涙が溢れた。
私はいつから涙を流し始めていたのかわからないので、そのままボタボタと真顔のままあとは涙に任せた。
ワンシーン、ワンシーンが常に美しかったので、安心して観ることができただけでは済まず、胸が締め付けられるような、「涙が出るほどの好き」を18歳少女を通して体感させられた。
すがゆうさんと同じことを言うと、完全に真似っこ野郎だと非難されそうだが、実は私も、『百合だ』なんだと騒ぐのが好きではない。ボーイズラブも同じだ。
これは百合作品ですのでお楽しみください、という触れ込みのものでないなら、どう感じるかは人それぞれなのだから、狙ってるとかそうでないかではなく、物語になにか想いは無いのかねと問いたい。
人がどんなかたちで人を好きになるかは、他人が名前をつける必要は無いと思うのだ。
というか『リズと青い鳥』は、性癖がどうというより、少女の鮮やかな日々と繊細な機微に触れられる、濃密な時間を過ごせる作品だ。
性癖という一過性の、ジャンクフードを貪るようなものとは違うと言いたい。
経口補水液だ。
また観たい。
歳を重ねて記憶力が薄れているのか、直近観た2作品くらい2回は映画館で観ている。
パンフレットを通販したので、持って行ってまた『リズと青い鳥』という生理食塩水、経口補水液に任せて涙をバタバタ流したい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。
そういえば、リズの「愛してるわ」でもまた泣いた。沁みたのだろう。