味がしなかった頃のこと
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
たぶん4年前、約1週間か10日という短い期間だったが、味覚が無かった時がある。
最初は
「味がしないって、こういうこと〜〜〜〜〜!???」
と、その体験を面白がれたが、2日目の夜くらいに、めちゃくちゃに死にたくなった。
味覚が無くなった原因は、たぶん、単純に、めちゃくちゃにストレスが溜まったか、めちゃくちゃなストレスを無視して無理した結果だろう。
味がしないことを楽しめた時間のうちは、食べ物本来の舌触りや形しかわからないことが新鮮だった。
米粒ひとつをとっても、形や粘度、温度変化、ザラつき、滑らかさ、角度…だけがやけに鮮明に、舌触りから情報として伝わってくるのだ。
しかし、味はさっぱりしない。塩と砂糖を舐めても同じだった。溶ける速さの違いがわかった。
およそ36時間は、その状態は新発見で楽しい。
しかし、おそらく原因はなにかしらのストレスなので、すでに頭がややキマッている状態だ。
その上、その状態がいつ治るのかさっぱりわからないので、めちゃくちゃに死にたくなった。
だんだん、食べ物の舌触りは不快感に変わった。
冷静に考えてみれば、ただ消化活動に咀嚼という運動が加わるだけだし、作業工程を進めるほど、食物は粘度の変化、温度の変化、水分が増えるなど、味がしなければその作業は不快感を煽るだけなのだ。
固形物の不快感に耐えられず、しかたなく、カロリー摂取はジュースやゼリーで過ごした。
その間、好物ほど口にしたくなかった。
味がしない、というだけで、その食べ物の知ってはいけない、邪悪な姿を見たような気持ちになったのだ。好きな食べ物の、そんな姿をこの身であえて感じたいとは、到底思えない。
そのため、好きなスターバックスコーヒーにその期間にも何度か行っていたが、固形物は注文しなかった。
カロリーを飲み物で摂取するために、あと、多少の癒しを求めて向かっていた。
しかし、飲み物を頼んだあと、ふいに、顔見知りの親切な店員さんが差し出してきた。
「シフォンケーキの試食です。よろしければ、どうぞ」
断れない。
断れるわけがない。事情を話してドン引きされるのも嫌だった。
なにも言えず、笑顔でお礼を言って受け取った。
試食用にひと口大に分けられた、きめ細かそうなふわふわのシフォンケーキ。
いつもなら嬉しい。
もしかしたら、この瞬間にすでに治っているかもしれない、と思った。
試食は嬉しいはずだからだ。
シフォンケーキは放置してしまうと、乾燥してパサパサになってしまう。
好きな物を食べるのに、悲しい思い、不快に感じるようなことはしたくないとも思った。
シフォンケーキは本来なら、美味しいし、好きなものだ。
頼んだ飲み物は、温かい。美味しい、気がする。
ひと口大のシフォンケーキを、これ以上、ぼうっと眺めていても、シフォンケーキが乾燥してしまうだけだ。意を決して、口の中に入れた。
残念ながら、その瞬間には治っていなかった。
シフォンケーキのスポンジ生地は、「まさにスポンジ」を想像させる舌触りだった。
すごく悲しくて、少し泣いていた。
そのあと、暗い気持ちでなんとなく過ごしていたら、いつのまにか治った。
本当に短い期間だったと思うが、私としては、先が見えない分、すごく長く感じた。
『魔女の宅急便』のキキが魔法が使えなくなったときって、こんな気持ちだったのかな、などとちょっといい感じに思うようにした。
味覚が無くなってしまった人は、世の中にほかにも、たくさん、いるかもしれない。
まだ会ったことがないが、きっと辛い。
はじめっから無い方がマシだったとまで思った。
味覚が戻ってから、その前より、今食べられる食べ物の味に、とても繊細な気持ちになったと思う。
ガッと食べて終われなくなった。
『味が美味しい』ってすごいことだよ…と、味に対する依存と信仰が生まれた。
私があまりたくさんは食べられないくせに、食いしん坊なのはその事があったからかもしれない。
元々かもしれないけど。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。