aikoと友達
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
aikoと友達には幸せになって欲しい。
これは今日の大前提なので覚えておいて欲しい。
aikoはよく聴く。
先日、友人の1人が「aikoをカラオケで歌うのってちょっとメンヘラ枠(flyingspaceship訳)」みたいなことを言っていた。それには私も同意だ。
aikoをカラオケで歌う女は、メンヘラ枠か素朴な顔したビッチ枠に入れられても文句は言えない。
aikoを歌う女に対しては厳しい偏見を持つが、aiko自体は、すごいアーティストだと思う。
私はTwitter以外からの情報が遮断された特殊な環境に身を置いているため、aikoの新曲がCMで流れていたとしても、なんにも知らないことが多い。
そんななか、コンビニなどのBGMで、知らない曲のイントロが「これaikoぽいな」と思うと高確率でaikoなのだ。友人の何人かも、その現象を体験している。
それを、すでに20年以上やってきている。約20年前からaikoの曲を聴いていても、新しくて、それでもaikoと思ったものはaikoなのだ。
これはあくまで、なんのデータも確証もない私の感覚の話だが、aikoが某アイドルグループのお料理が得意な人と破局の報道が流れてすぐのアルバム(たぶん『夢の中のまっすぐな道』、たぶん。なにも照らし合わせてないので信憑性は低い)が、それまでのaikoとやや毛色が違って聞こえる。
一曲一曲だけではなく、そのアルバムだけその曲順で聴くと、それまでのアルバムの雰囲気と少し違う気がする。
そのあとに出したアルバムからは、いつものaikoと感じ取れながらも、少しまた新しくなったaikoを見たような気持ちになった。
aikoのプライベートの報道はあまり詳しくなかったし、無理にそういうものとその人の本業を関連付けて考えるのも、なんだか陳腐で好きではなかった。
しかし、よくよく考えてみれば、そういう陳腐で俗っぽいものほど、音楽に限らずエンターテイメントの良い養分になってしまうし、できる人のほうが多くの人を楽しませてくれていたりする。
それ以来、aikoの幸せは願うが、クソみたいなものでも恋愛はたくさんして欲しいと思うようになった。
それは友人にも同じで、女という生き物にとって恋愛は大きなエンターテイメントだ。
もちろん、新鮮な傷はそれが癒えるまで、誰にも触れさせる必要はないし、現在進行形の悩みはいちいち言わんでも、ひとりで向き合うことのほうが重要だし、幸せになれる。
ただ、とっくに終わった恋の話は、クソであるほど面白い。
みんなで笑ってやるでもいいし、みんなで泣いて怒って、一本の映画を観た後みたいに体力を消耗してやってもいい。
クソな恋愛をした友人ほど、めちゃめちゃ話が面白いし、そのあとの起死回生の勢いからの恋愛がとても幸せなものになったりする。
それがまたクソみたいな終わり方をしても、元気になった時の彼女たちは本当に元気だ。
aikoと友達は絶対に不幸にはなって欲しくない。
幸せを願っている。
でもクソみたいな恋愛ほど、たくさんして欲しいと思っている。
面白いから。
快楽主義flyingsapceshipの勝手な思いだ。
ただ、クソみたいな恋愛の話で、ここ最近はもう、一番ウケるのは私の話だ。
はやく、誰か、もっとクソみたいな恋愛してくれ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
ありがとうございます。