サイズと信用
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
「下着屋のおばちゃんにサイズ測って貰ったら2サイズアップした!」
というような内容があった。
その内容を今整理して見ると、要素は以下の4つだ。
『下着専門店』
『おばちゃんのスタッフ』
『サイズ測定を受けた』
『サイズアップ』
性懲りも無くTwitterを信じ切っているので、私はいつも行っている専門店ではなく、百貨店の中のベテランの女性スタッフが多くいるだろう下着専門店に、大いに期待して向かった。
いや、今更バストサイズが上がったとて本当に一切の役にも立たないが、自分の体にまだ未知の可能性があるのならと、試してみたかったのだ。
結果、いつもの専門店でのサイズと変わらなかった。
その結果を友人に報告すると、友人は相変わらず呆れ果てた様子で、
「いや、あれは普段、測ったことないくらいの人が言ってるんだよ」
えっ?
つまりは、4つの要素の中の『下着専門店』と『おばちゃんのスタッフ』も関係無い。そもそも『サイズアップ』も、測ったことが無い信憑性の低いサイズからの『正しいサイズ』になっただけだ。
その人が正しく、下着販売店ならどこでもやっているサービスで『サイズ測定を受けた』というだけだ。
ただ、友人の見識だけなので、その人が本当にそうとは限らないが、そういった人が多くいるためのリツイートの可能性は高い。
体に直着けするもので、尚且つ、サイズ表記されているものを、自分自身の正しいサイズも理解しないまま金を出している、ということだ。
そう言うと、更に友人は言う。
「サイズがわからなくても買えるから」
買えるから、着けられる(?)から、間違ったサイズでも、そのまま出した金額同等の価値と見なしているというのだ。
しかし、下着専門店に限らず、売り場では試着も測定も当たり前の『無料サービス』としてあるし、中には売り場の目のつく至る所にその『無料サービス』を推奨するPOPもある。
サイズ表記があるものは、その正しいサイズで購入してこそ価値がある。
つまりは、無料サービスがその商品の値段に入っていると思っても良い。
それをしない、というのは、「お母さんに買って来て貰っている」か、「無料サービスを受けたく無い」ということだ。
確かに、下着専門店は、男性だけでなく、女性もどこか気恥ずかしさはある。
見ず知らずの若い女性スタッフに、自分の下着姿を見せるのは、かなり恥ずかしいかもしれない。
恥ずかしいかもしれないが、自分の体は自分で管理するためのプロの手だ、と私は思う。
陰湿で猜疑心の根深い私は、「そういう人は、要するに店員を信用してないんだな」とも思った。
自分の買い物を、客観的に見るプロとして扱っていない人なのではないかと思うのだ。
接客を受けたら「押し売りされる」とか「影で悪口を言われる」とか、そういう疑いの目でしか見られていないのではないか。
他人のことを信用しろと言う意味ではない。
他人の仕事を信用したらどうなのか、と思うのだ。
私がたまたま、そういう見方になっているだけではある。
嫌なもんは嫌だ!という人は多くいる。
店員を『店員の仕事』として信用させることも、仕事の1つかもしれない。
しかし、そうやって、信用しないまま求めることばかり続けたら、どこまでいっても最終的には殺し合いになるだろう。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。